式内楯原神社 - 神社ファン

有名度

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式内楯原神社

しきないたてはらじんじゃ

大阪府大阪市平野区喜連6-1-38

大阪府大阪市平野区喜連6-1-38

社号標と鳥居

さかおり(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 恋愛
  • 仕事
  • 学業
  • 子供
  • 勝負
式内楯原神社には

「恋愛系」「仕事系」「学業・技芸系」「子供系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

必勝祈願 五穀豊穣 国家守護 縁結び 商売繁盛 子授け 受験合格 学問成就

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

鹿島系」 「出雲・オオナムチ系」 「天満・天神系」 「不明(2柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

式内楯原神社は大阪府大阪市平野区に鎮座する神社。御祭神は武甕槌大神、大国主大神、孝元天皇、菅原道真、赤留姫命の5柱をまつる。
社格は式内社であり、旧村社。
社伝によれば、楯原神社は崇神天皇7年の創建とされ、武甕槌命を祀る楯之御前神社に始まると伝えられる。崇神天皇6年、この地の国造であった大々杼名黒に対し、建甕槌命と国平大神を同殿に祀るのは畏れ多いとして別殿を設けるよう詔が下され、建甕槌命を楯之御前神社、国平の鉾を鉾之御前神社として鎮斎し、翌7年9月2日に鎮座祭が行われたという。さらに同9年には神領が定められたと伝えられるが、これらの説話は記紀神話と結びつく内容が多く、後世に整えられた伝承とみられる部分もある。
また神功皇后の時代には三韓征伐に関する託宣があったとされ、戦いの後に神功皇后が品陀和気命を伴って当社を親拝したという伝承が残る。さらに推古天皇15年(607年)には中臣鎌子が勅使として参拝したと伝えられ、古くから朝廷との関わりが語られている。延喜式神名帳にも名が見える式内社であり、古代からこの地域で信仰を集めてきた古社とされる。
南北朝時代の延元2年(1336年)には皇太子が杭全郷に行啓した際に楯原神社へ参向したと伝えられるが、その後の戦乱により社殿は兵火で焼失した。旧社地は喜連西北端の旧字楯原にあったとされ、文明13年(1481年)に現在地付近へ遷座して仮殿が設けられ、明応2年(1493年)に社殿が改築された。その後も元和年間(1615年~1623年)の暴風雨で社殿が破損したため、新たに社殿が造営され現在の社地へ遷されたと伝えられており、楯原神社の歴史は災害や戦乱による移転と再建を重ねながら受け継がれてきた。
近代になると神社合祀が進められ、明治40年(1907年)に楯原神社、東西神社、春日神社などが合祀され、明治43年(1910年)に現在の楯原神社として再編された。昭和26年(1951年)には東西神社と春日神社が八坂神社として分離遷祀され、現在の社の形となった。
境内の本殿は木造一間社流造で、元和年間(1615年~1623年)の建造とされる社殿であり、2011年には大阪市指定有形文化財に指定されている。また奥殿にあたる氏神天神社も大阪市指定文化財となっており、大坂夏の陣後に再建された建物と伝えられる。祭事では秋祭が10月15日に行われ、夏祭は7月第1日曜日を中心に催され、2台の神輿が町内を巡行する。
  • 村社
  • 式内社(小)
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%8F%E5%86%85%E6%A5%AF%E5%8E%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE
大阪府神社庁
https://www.osaka-jinjacho.jp/