有名度
前頭鎮國・守國神社
ちんこくしゅこくじんじゃ
三重県桑名市吉之丸9
三重県桑名市吉之丸9

Tawashi(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
かんたんご利益
御祭神
主祭神
鎮國大明神(松平定綱) ちんこくだいみょうじん(まつだいらさだつな)
主祭神
守國大明神(松平定信) しゅこくだいみょうじん(まつだいらさだのぶ)
配祀
旭八幡大明神 あさひはちまんだいみょうじん
配祀
山末之大主神 やますえのだいみょうじん
配祀
天満天神 てんまんてんじん
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(2柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
鎮國・守國神社は三重県桑名市に鎮座する神社。御祭神は鎮國大明神(松平定綱)、守國大明神(松平定信)、旭八幡大明神、山末之大主神、天満天神の5柱をまつる。
社格は旧県社。
起こりは天明4年(1784年)にさかのぼり、奥州白河城内において松平定綱を祖神として奉祀したことを創祀とする。のち寛政9年(1797年)に鎮國大明神の大明神号が宣下され、文政6年(1823年)には、白河から桑名への移封に伴い、社も桑名城内へ遷祀された。
守國大明神は、桑名藩第9世城主である松平定信を祀るものとして整えられ、天保4年(1823年)に桑名城内の鎮國神社境内へ奉祀されたことを始まりとする。翌天保5年(1834年)には守國大明神の大明神号が宣下され、以後、鎮國大明神とあわせて祀られる体制が確立していった。
明治期に入ると、明治8年(1875年)に鎮國神社は村社となり、明治13年(1880年)には鎮國・守國の両社が県社に列したとされる。さらに明治40年(1907年)には、境内神社であった旭八幡神社・日吉社・菅原社が合祀され、現在につながる祭神構成が整えられた。
文化財としては、集古十種版木や三宝類聚名義抄(蓮成院本)が国の重要文化財に指定されているほか、絹本着色松平定信像は三重県指定有形文化財に指定されている。
祭事では、例祭として5月2日・3日に金魚祭が行われ、地域の初夏の風物詩として親しまれてきた。また、5月13日の例大祭には献茶式が行われるとされ、藩政期以来の文化的な系譜を今に伝えている。
社格は旧県社。
起こりは天明4年(1784年)にさかのぼり、奥州白河城内において松平定綱を祖神として奉祀したことを創祀とする。のち寛政9年(1797年)に鎮國大明神の大明神号が宣下され、文政6年(1823年)には、白河から桑名への移封に伴い、社も桑名城内へ遷祀された。
守國大明神は、桑名藩第9世城主である松平定信を祀るものとして整えられ、天保4年(1823年)に桑名城内の鎮國神社境内へ奉祀されたことを始まりとする。翌天保5年(1834年)には守國大明神の大明神号が宣下され、以後、鎮國大明神とあわせて祀られる体制が確立していった。
明治期に入ると、明治8年(1875年)に鎮國神社は村社となり、明治13年(1880年)には鎮國・守國の両社が県社に列したとされる。さらに明治40年(1907年)には、境内神社であった旭八幡神社・日吉社・菅原社が合祀され、現在につながる祭神構成が整えられた。
文化財としては、集古十種版木や三宝類聚名義抄(蓮成院本)が国の重要文化財に指定されているほか、絹本着色松平定信像は三重県指定有形文化財に指定されている。
祭事では、例祭として5月2日・3日に金魚祭が行われ、地域の初夏の風物詩として親しまれてきた。また、5月13日の例大祭には献茶式が行われるとされ、藩政期以来の文化的な系譜を今に伝えている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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文化財
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建築
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神紋
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出典
公式サイト
https://chinkokushukoku.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%AE%E5%9B%BD%E5%AE%88%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
三重県神社庁
https://www.mie-jinjachou.page/
https://chinkokushukoku.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%AE%E5%9B%BD%E5%AE%88%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
三重県神社庁
https://www.mie-jinjachou.page/
