有名度
前頭上位加波山三枝祇神社 本宮
かばさんさえなづみじんじゃほんぐう
茨城県桜川市真壁町長岡1251番地
茨城県桜川市真壁町長岡1251番地

小石川人晃(wikipedia CC 表示-継承 4.0)
加波山三枝祇神社 本宮以外にも 加波山三枝祇神社 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 健康
- 仕事
- 安全
加波山三枝祇神社 本宮には
「健康系」「仕事系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
五穀豊穣 鎮火 疫病除け
御祭神
伊弉冊命 いざなみのみこと
速玉男命 はやたまのおのみこと
事解男命 ことさかのおのみこと
配祀
大雷神 不明(おいかづちのかみ
山雷神 やまつちのかみ
野雷神 のつちのかみ
火雷神 ほのいかづちのかみ
黒雷神 不明
稚雷神 わかいかづちのかみ
裂雷神 さくいかづちのかみ
土雷神 つちのいかづちのかみの8柱の総称)
神社系統
この神社の主な系統は
「熊野系」
です。他に 「八雷系」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
加波山三枝祇神社 本宮は茨城県桜川市に鎮座する神社。御祭神は伊弉冊命、速玉男命、事解男命、大雷神、山雷神、野雷神、火雷神、黒雷神、稚雷神、裂雷神、土雷神の11柱をまつる。
社格は国史見在社であり、旧村社。
社伝では、景行天皇41年、日本武尊が東国遠征からの帰途に加波山へ登り、神託を受けて神祠を建て、伊弉冊命・速玉男命・事解男命を勧請したことを創始とする。神護景雲2年(768年)には社殿が創建されたと伝えられる。また、常陸国造の一族である三枝部連が祖神を配祀し、神母山神社から三枝祇神社へ改称したとの社伝も残されている。
貞観17年(875年)には三枝祇神が従五位下の神階を授けられた。大同年間(806~810年)には僧侶が加波山に入り別当寺を開き、神仏習合のもとで加波山本宮権現、加波山大権現とも称された。
天慶年間(938~947年)の兵乱で社殿は被害を受けた。その後、源頼朝や真壁長幹、真壁家幹らの援助により、建久年間(1190~1199年)から天文年間(1532~1555年)にかけて社殿や諸堂が修復された。天文15年(1546年)には真壁家幹が社殿を改築し、「加波山三枝祇社壇」と記した奉納額を納めている。
室町時代には本宮は正幢院、親宮は円鏡寺、中宮は文珠院が管理した。江戸時代には本宮が真言宗寺院・正幢院と一体となった宮寺として運営され、慶安元年(1648年)には江戸幕府から加波山権現領100石の朱印地を与えられた。
本宮に属する山伏は山先達として各地を巡り、加持祈祷や神札の頒布を行った。元禄5年(1692年)には御分霊渡御祭が始まり、神輿は真壁周辺から下野国や下総国まで巡幸した。山中には禅定場が設けられ、各地には禅定講が組織された。
天明年間(1781~1789年)の火災で社殿は焼失し、その後再建された。文政3年(1820年)には正一位の宣旨を受け、明治元年(1868年)の神仏分離により正幢院は廃寺となった。本宮は加波山三枝祇神社本宮へ改称され、明治16年(1883年)には崇敬者によって社殿が改築された。現在は親宮の社殿と祭祀も本宮が管理している。
本宮は標高709mの加波山山頂に鎮座し、本殿の南側に拝殿が建つ。山麓には里宮が置かれ、真壁家幹奉納の改築記念額や文政3年(1820年)の正一位宣旨額、山岡鉄舟揮毫の遥拝殿額などが伝わる。
例祭は4月8日に行われ、1月7日からは御分霊渡御祭が執り行われる。8月には禅定祭・夏山開き、冬至には鎮火祭(火渉祭)が行われ、火渉祭は応永3年(1396年)に始まったと伝えられている。
社格は国史見在社であり、旧村社。
社伝では、景行天皇41年、日本武尊が東国遠征からの帰途に加波山へ登り、神託を受けて神祠を建て、伊弉冊命・速玉男命・事解男命を勧請したことを創始とする。神護景雲2年(768年)には社殿が創建されたと伝えられる。また、常陸国造の一族である三枝部連が祖神を配祀し、神母山神社から三枝祇神社へ改称したとの社伝も残されている。
貞観17年(875年)には三枝祇神が従五位下の神階を授けられた。大同年間(806~810年)には僧侶が加波山に入り別当寺を開き、神仏習合のもとで加波山本宮権現、加波山大権現とも称された。
天慶年間(938~947年)の兵乱で社殿は被害を受けた。その後、源頼朝や真壁長幹、真壁家幹らの援助により、建久年間(1190~1199年)から天文年間(1532~1555年)にかけて社殿や諸堂が修復された。天文15年(1546年)には真壁家幹が社殿を改築し、「加波山三枝祇社壇」と記した奉納額を納めている。
室町時代には本宮は正幢院、親宮は円鏡寺、中宮は文珠院が管理した。江戸時代には本宮が真言宗寺院・正幢院と一体となった宮寺として運営され、慶安元年(1648年)には江戸幕府から加波山権現領100石の朱印地を与えられた。
本宮に属する山伏は山先達として各地を巡り、加持祈祷や神札の頒布を行った。元禄5年(1692年)には御分霊渡御祭が始まり、神輿は真壁周辺から下野国や下総国まで巡幸した。山中には禅定場が設けられ、各地には禅定講が組織された。
天明年間(1781~1789年)の火災で社殿は焼失し、その後再建された。文政3年(1820年)には正一位の宣旨を受け、明治元年(1868年)の神仏分離により正幢院は廃寺となった。本宮は加波山三枝祇神社本宮へ改称され、明治16年(1883年)には崇敬者によって社殿が改築された。現在は親宮の社殿と祭祀も本宮が管理している。
本宮は標高709mの加波山山頂に鎮座し、本殿の南側に拝殿が建つ。山麓には里宮が置かれ、真壁家幹奉納の改築記念額や文政3年(1820年)の正一位宣旨額、山岡鉄舟揮毫の遥拝殿額などが伝わる。
例祭は4月8日に行われ、1月7日からは御分霊渡御祭が執り行われる。8月には禅定祭・夏山開き、冬至には鎮火祭(火渉祭)が行われ、火渉祭は応永3年(1396年)に始まったと伝えられている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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建築
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神紋
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出典
公式サイト
http://kabasan-jinja.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B3%A2%E5%B1%B1%E4%B8%89%E6%9E%9D%E7%A5%87%E7%A5%9E%E7%A4%BE
茨城県神社庁
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/
http://kabasan-jinja.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B3%A2%E5%B1%B1%E4%B8%89%E6%9E%9D%E7%A5%87%E7%A5%9E%E7%A4%BE
茨城県神社庁
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/
