荒雄川神社 宮城県大崎市鳴子温泉鬼首字久瀬 - 神社ファン

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荒雄川神社

あらおかわじんじゃ

宮城県大崎市鳴子温泉鬼首字久瀬3番地

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宮城県大崎市鳴子温泉鬼首字久瀬3番地

奥宮

Bachstelze(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 健康
  • 仕事
  • 安全
  • 家庭
荒雄川神社には

「健康系」「仕事系」「安全系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

五穀豊穣 諸願成就 当病平癒 家内安全 商売繁盛 地域産業隆盛

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

大物忌系

です。
他に 「祇園・須佐系」 「八幡系」 「愛宕・秋葉系」 「三島・大山祇系」 「大鳥・白鳥系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

荒雄川神社は宮城県大崎市に鎮座する神社。御祭神は大物忌神、素盞嗚命、誉田別命、軻遇突智命、大山祇神、日本武尊の6柱をまつる。
社格は式内社(論社)であり、旧村社。
荒雄川神社の創祀年代は明らかになっていない。古くは荒雄岳の水神峠付近に鎮座し、荒雄川の水源に立つ2個の巨石が信仰の対象となっていた。一方は高さ9尺8寸、幅10尺8寸、もう一方は高さ18尺5寸、幅9尺3寸と記録され、「荒黄河大物忌命」または「大物忌石」と奉称された。雄石と雌石の下から荒雄川の源流となる水が湧き出るとの伝承も残る。
荒雄岳の水源地には大物忌神を奉斎する社殿が設けられ、荒雄川流域の36か所にも社殿が営まれたことから「三十六所明神」と称された。「荒雄河神社」の表記も用いられ、荒雄川は現在の江合川の別称である。
天文年間(1532年~1555年)には羽黒派修験の不動院が祭祀を担った。不動院は民部坊寿安を開山とし、2世清元が奉仕した。天正年間(1573年~1592年)には伊達政宗が若水桶や柄杓などを奉納し、不動院へ祭祀料4貫50文を寄進した。
江戸時代の『封内記』には上宮村の三十六所明神が記載され、同社が式内社として扱われている。鬼首の荒雄川神社には奥宮または嶽宮の呼称があり、岩出山池月にも同名の荒雄川神社が鎮座する。
明治2年(1869年)4月、鬼首村の高橋長右衛門の厩で牡馬「起漲」が生まれ、のちに磐井県が種馬として購入した。明治5年(1872年)、荒雄岳の社宇が荒廃していた荒雄川神社は現在地へ遷座し、明治8年(1875年)5月に村社へ列格した。
明治9年(1876年)の明治天皇東北巡幸時、「起漲」は検査を経て宮中の御料馬となり、「金華山号」と改名された。明治13年(1880年)から明治26年(1893年)まで御料馬を務め、明治28年(1895年)6月に27歳で死んだ。剥製は現在、明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に保存・展示されている。
明治24年(1891年)、荒雄川神社社掌の高橋盛喜が金華山号の木像造立を発起し、初代後藤貞行に制作を依頼した。明治34年(1901年)、ケヤキ材による等身大木像が鬼首で完成し、同年の東北特別大演習で天覧に供されたのち、境内の主馬神社へ神体として納められた。大正10年(1921年)2月には神饌幣帛料供進社に指定された。
主馬神社の木彫「金華山号」は平成14年(2002年)7月29日に大崎市指定有形文化財となった。平常時は拝殿のガラス扉越しに拝観でき、毎年9月9日・10日の荒雄川神社例祭に合わせて開帳される。
  • 村社
  • 式内社(不明 論社)
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神社詳細

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文化財

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建築

本殿 神明造

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E9%9B%84%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A4%A7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E9%B3%B4%E5%AD%90%E6%B8%A9%E6%B3%89%E9%AC%BC%E9%A6%96)
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/