益救神社 鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦字水洗尻 - 神社ファン

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益救神社

やくじんじゃ

鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦字水洗尻277

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鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦字水洗尻277

拝殿

Yasu(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

御祭神

主祭神

天津彦彦火火出見尊 あまつひこひこほほでみのみこと

配祀神

大山祇尊 おおやまずみのみこと

配祀神

木花開耶姫尊 このはなさくやひめのみこと

配祀神

塩土翁尊 しおつちのおきなのみこと

配祀神

豊玉彦尊 とよたまひこのみこと

配祀神

豊玉姫尊 とよたまひめのみこと

配祀神

玉依姫尊 たまよりひめのみこと

神社系統

主な系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

益救神社は鹿児島県熊毛郡屋久島町に鎮座する神社。御祭神は天津彦彦火火出見尊、大山祇尊、木花開耶姫尊、塩土翁尊、豊玉彦尊、豊玉姫尊、玉依姫尊の7柱をまつる。
社格は式内社であり、旧県社。
益救神社の創建年代は明らかではない。屋久島については推古天皇24年(616)に掖玖人が朝廷へ貢物を献上した記録があり、舒明天皇元年(629)4月には田部連が掖玖島へ派遣されたと伝えられている。
延長5年(927)に成立した『延喜式』神名帳には「大隅国馭謨郡一座 名神小 益救神社」と記載されている。宮之浦だけでなく屋久島各地に益救神社が祀られ、宮之浦岳山頂には奥社が鎮座する。近世以前には御嶽宮、一品宝珠権現などの名でも呼ばれた。
その後、社殿は荒廃し、宮之浦の社地も失われたと伝えられる。貞享元年(1684)、屋久島へ赴任した町田孫七忠以が旧跡を探して社殿の再興を進め、貞享3年(1686)正月から参詣が再開された。
江戸時代後期の天保2年(1831)には、屋久島で流行した疱瘡の退散を祈願して仁王像が寄進された。石像の背面には天保2年の年紀と寄進者の名が刻まれている。明治初年の廃仏毀釈では村人が仁王像を地中に埋めたため破壊を免れ、現在も境内に残されている。
文久3年(1863)には薩摩藩によって社殿が造営され、神領が与えられた。明治4年(1871)には、それまで祀られていた火須世理尊が川向神社へ、恵美須神が川口の神祠へ遷された。明治6年(1873)には県社に列した。
昭和20年(1945)7月15日、社殿はアメリカ軍の爆撃によって焼失した。戦後は再建費用を確保するため境内地の一部と境内の杉約2,000本が売却され、昭和29年(1954)に社殿が再建された。その後、昭和天皇御在位60年を記念して社殿の改造と社務所の新築が行われた。
社宝には島津久光直筆の社号扁額、檜造神輿、木造唐獅子、黒漆塗金蒔絵太刀2刀などが伝わる。例祭は4月29日に行われ、神幸祭が斎行される。旧暦1月23日の月待祭では、新築した人々が3年間にわたって月の出を待って参拝し、海上安全を祈願する。年越しには益救神太鼓による「ヤク祓」の初打ちが行われている。
  • 県社
  • 式内社(小)
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神社詳細

公式URL

格式

県社 式内社(小)

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建築

本殿 三間社流造

神紋

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出典
公式サイト
http://www.yakujinja.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E6%95%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE
鹿児島県神社庁
https://www.kagojinjacho.or.jp/