有名度
前頭玉山神社
たまやまじんじゃ
鹿児島県日置市東市来町美山788
鹿児島県日置市東市来町美山788

Sakoppi(wikipedia CC 表示-継承 4.0)
かんたんご利益
御祭神
瓊瓊杵尊 ににぎのみこと
素戔雄尊 すさのおのみこと
八坂比売命 やさかひめのみこと
諏訪大明神 すわだいめょうじん
建御名方命 たけみなかたのみこと
剣大明神 つるぎだいめょうじん
青剣大明神 あおつるぎだいめょうじん
保食神 うけもちのかみ
鎮守大明神 ちんじゅだいみょうじん
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
玉山神社は鹿児島県日置市に鎮座する神社。御祭神は瓊瓊杵尊、素戔雄尊、八坂比売命、諏訪大明神、建御名方命、剣大明神、青剣大明神、保食神、鎮守大明神の9柱をまつる。
社格は旧村社。
玉山神社の鎮座地である美山は、かつて苗代川と呼ばれた地域である。朝鮮出兵の際、この地へ移り住んだ人々は、毎年春と秋に舞楽岡へ登り、海上に浮かぶ甑島を眺めて故郷を偲んだと伝わる。
ある夜、海の彼方から大きな火の玉が飛来して蜂巣ヶ谷の大石に落ち、大石は鳴動し、夜ごとに異光を放ちながら宙へ昇ったと伝えられる。村人が筮者に占わせたところ、朝鮮宗廟の神である檀君が村人を守護するために来国したとされ、この自然石を御神体として祀ったことが玉山神社の起こりと伝えられる。創建は慶長10年(1605年)頃とされ、玉山宮、または高麗神とも称された。
明和3年(1766年)2月には、島津家が玉山宮を陶器神として崇敬し、社殿を造営した。以後、社殿の修繕は薩摩藩が担い、当時の社殿は廟様式であったと伝えられる。
明治35年(1902年)から明治36年(1903年)頃に瓊瓊杵尊を祀り、明治42年(1909年)には素戔雄尊、八坂比売命、建御名方命、保食神を合祀した。翌明治43年(1910年)には剣神社と鎮守神社を合祀し、現在の祭神構成となった。
現在の社殿は大正6年(1917年)に改築されたものである。また、玉山神社に伝わる「日置市美山玉山神社伝来資料」は、平成31年(2019年)4月に鹿児島県指定有形文化財(美術工芸品)に指定されている。例祭は旧暦9月14日と15日に執り行われる。
社格は旧村社。
玉山神社の鎮座地である美山は、かつて苗代川と呼ばれた地域である。朝鮮出兵の際、この地へ移り住んだ人々は、毎年春と秋に舞楽岡へ登り、海上に浮かぶ甑島を眺めて故郷を偲んだと伝わる。
ある夜、海の彼方から大きな火の玉が飛来して蜂巣ヶ谷の大石に落ち、大石は鳴動し、夜ごとに異光を放ちながら宙へ昇ったと伝えられる。村人が筮者に占わせたところ、朝鮮宗廟の神である檀君が村人を守護するために来国したとされ、この自然石を御神体として祀ったことが玉山神社の起こりと伝えられる。創建は慶長10年(1605年)頃とされ、玉山宮、または高麗神とも称された。
明和3年(1766年)2月には、島津家が玉山宮を陶器神として崇敬し、社殿を造営した。以後、社殿の修繕は薩摩藩が担い、当時の社殿は廟様式であったと伝えられる。
明治35年(1902年)から明治36年(1903年)頃に瓊瓊杵尊を祀り、明治42年(1909年)には素戔雄尊、八坂比売命、建御名方命、保食神を合祀した。翌明治43年(1910年)には剣神社と鎮守神社を合祀し、現在の祭神構成となった。
現在の社殿は大正6年(1917年)に改築されたものである。また、玉山神社に伝わる「日置市美山玉山神社伝来資料」は、平成31年(2019年)4月に鹿児島県指定有形文化財(美術工芸品)に指定されている。例祭は旧暦9月14日と15日に執り行われる。
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神社詳細
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
鹿児島県神社庁
https://www.kagojinjacho.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
鹿児島県神社庁
https://www.kagojinjacho.or.jp/
