槵觸神社 - 神社ファン

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槵觸神社

くしふるじんじゃ

宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井713番

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宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井713番

拝殿と本殿

As6022014(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 勝負
槵觸神社には

「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

勝負運

御祭神

主祭神

迩迩芸命 ににぎのみこと

相殿

天児屋根命 あめのこやねのみこと

相殿

経津主命 ふつぬしのみこと

相殿

天太玉命 あめのふとだまのみこと

相殿

武甕槌命 たけみかづちのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
他に 「不明(2柱)」 「鹿島系」 「香取系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

槵觸神社は宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する神社。御祭神は迩迩芸命、天児屋根命、経津主命、天太玉命、武甕槌命の5柱をまつる。
社格は国史見在社であり、旧県社。
槵觸神社が鎮座する槵觸の峰は、天孫降臨の伝承地である。『古事記』には迩迩芸命が「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気」に天降ったと記され、高千穂では槵觸の峰がその伝承地の一つとされている。
槵觸の峰では、社殿が造営される以前から峰そのものを神体として祭祀が行われ、社殿を持たない時代から高千穂八十八社の一社に数えられていた。
元禄7年(1694)6月15日、延岡城主の三浦氏が、十社宮(現在の高千穂神社)の大宮司・田尻乗信の要請を受けて社殿を建立した。元禄年間に延岡藩士の岡田定賢が著した『串振記』にも槵觸大明神についての記録があり、当時は天児屋根命を槵觸大明神として祀っていた。
明治6年(1873)に二上神社と改称して県社に列格し、明治40年(1907)には神饌幣帛料供進神社に指定された。明治43年(1910)に現在の槵觸神社へ改称した。
大正14年(1925)3月には秩父宮雍仁親王、昭和30年(1955)6月には高松宮宣仁親王、昭和38年(1963)8月には常陸宮正仁親王が参拝した。昭和41年(1966)11月には高天原遥拝所の裏に「高千穂碑」が建立され、高松宮宣仁親王が除幕式に臨んだ。
昭和58年(1983)12月には約300年ぶりとなる大規模な造営が行われ、本殿、拝殿、社務所などが整備された。本殿は流造で10坪、拝殿は入母屋造で27坪を数える。本殿には鳳凰や龍、中国の二十四孝物語に関係する彫刻が施され、本殿彫刻は高千穂町の有形文化財に指定されている。
境内には相撲の土俵が設けられている。武甕槌命と建御名方神による力比べを相撲の始まりとする伝承があり、例大祭では相撲が奉納される。秋の例大祭では、神面を着けた神楽舞の一行とともに、棒術や薙刀術の一行が神幸に供奉する。
槵觸の峰周辺には、高天原遥拝所、四皇子峰、天真名井などの神話伝承地がある。槵觸嶽の麓にある天真名井のそばには神代川が流れている。
  • 県社
  • 国史見在社
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神社詳細

摂末社・境内社

情報募集

例祭

例祭 10月16日

文化財

くし觸神社本殿
高千穂町 有形文化財
建造物 平成2年3月14日指定

建築

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神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%B5%E8%A7%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
高千穂町
http://www.komisen.net/heritage.htm