有名度
前頭上位狭野神社
さのじんじゃ
宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田120
宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田120

Sibifuji(wikipedia CC 表示-継承 4.0)
かんたんご利益
- 健康
- 子供
- 安全
狭野神社には
「健康系」「子供系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
事始め 交通安全 安産 長寿 心願成就
御祭神
神武天皇 じんむてんのう
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
狭野神社は宮崎県西諸県郡高原町に鎮座する神社。御祭神は神武天皇の1柱をまつる。
社格は旧県社、官幣大社別宮、現在は別表神社。
創建は第5代孝昭天皇の時代と伝えられ、神武天皇の生誕地に社殿が建立されたとする社伝が残る。第30代敏達天皇の時代には別当寺が創立され、金剛仏作寺神生院の勅号を受けたと伝わる。神生院は後に霧島仏華林寺神徳院と称し、霧島修験道に関わる寺院となった。
狭野神社は霧島山の噴火によってたびたび被災した。延暦7年(788)、文暦元年(1234)、享保年間には噴火による被害が伝えられている。文暦元年の噴火では社殿が焼失し、神輿を東霧島へ移したことが江戸時代の地誌に記録されている。その後も鎮座地を移し、慶長15年(1610)に現在地へ遷座したと伝えられる。
戦国時代から近世にかけては島津氏の崇敬を受けた。島津義弘は朝鮮出兵に際して狭野神社で戦勝を祈願し、帰還後の慶長年間には重臣を派遣して杉を植栽したと伝えられる。現在も参道には、この時に植えられたとされる狭野杉が残る。
江戸時代には社殿の修理や再建が行われた。天明4年(1784)には神徳院住持の憲応が狭野社を修理して遷宮式を行った。享和3年(1803)には社殿が焼失し、神輿を小林の宝光院へ遷した後、文化3年(1806)に旧地へ戻った。文化4年(1807)には、前年の大風で損壊した裏門が再建された。
明治初期の神仏分離によって神徳院は廃寺となり、境内には歴代住職を祀る神徳院墓地が残る。明治38年(1905)には宮崎神宮旧社殿の移築に着手し、明治39年(1906)5月18日に完成した。
現在の社殿は本殿が流造、拝殿が入母屋造、外拝殿が流造である。長い参道に並ぶ老杉は「狭野の杉並木」として、大正13年(1924)12月9日に国の天然記念物に指定された。
祭事では2月18日に苗代田祭が行われ、木牛を用いることから「ベブがハホ」とも呼ばれる。5月16日には御田植祭、10月23日には例祭が行われる。12月第1土曜日には狭野神楽が奉納される。狭野神楽については、延宝2年(1674)の古文書に「神楽三十二番」「社家」の記録があり、文政6年(1823)の番付には39番の演目が記されている。現在も狭野地区の人々によって夜から翌朝の日の出まで舞が奉納され、「高原の神舞」の一つとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。
社格は旧県社、官幣大社別宮、現在は別表神社。
創建は第5代孝昭天皇の時代と伝えられ、神武天皇の生誕地に社殿が建立されたとする社伝が残る。第30代敏達天皇の時代には別当寺が創立され、金剛仏作寺神生院の勅号を受けたと伝わる。神生院は後に霧島仏華林寺神徳院と称し、霧島修験道に関わる寺院となった。
狭野神社は霧島山の噴火によってたびたび被災した。延暦7年(788)、文暦元年(1234)、享保年間には噴火による被害が伝えられている。文暦元年の噴火では社殿が焼失し、神輿を東霧島へ移したことが江戸時代の地誌に記録されている。その後も鎮座地を移し、慶長15年(1610)に現在地へ遷座したと伝えられる。
戦国時代から近世にかけては島津氏の崇敬を受けた。島津義弘は朝鮮出兵に際して狭野神社で戦勝を祈願し、帰還後の慶長年間には重臣を派遣して杉を植栽したと伝えられる。現在も参道には、この時に植えられたとされる狭野杉が残る。
江戸時代には社殿の修理や再建が行われた。天明4年(1784)には神徳院住持の憲応が狭野社を修理して遷宮式を行った。享和3年(1803)には社殿が焼失し、神輿を小林の宝光院へ遷した後、文化3年(1806)に旧地へ戻った。文化4年(1807)には、前年の大風で損壊した裏門が再建された。
明治初期の神仏分離によって神徳院は廃寺となり、境内には歴代住職を祀る神徳院墓地が残る。明治38年(1905)には宮崎神宮旧社殿の移築に着手し、明治39年(1906)5月18日に完成した。
現在の社殿は本殿が流造、拝殿が入母屋造、外拝殿が流造である。長い参道に並ぶ老杉は「狭野の杉並木」として、大正13年(1924)12月9日に国の天然記念物に指定された。
祭事では2月18日に苗代田祭が行われ、木牛を用いることから「ベブがハホ」とも呼ばれる。5月16日には御田植祭、10月23日には例祭が行われる。12月第1土曜日には狭野神楽が奉納される。狭野神楽については、延宝2年(1674)の古文書に「神楽三十二番」「社家」の記録があり、文政6年(1823)の番付には39番の演目が記されている。現在も狭野地区の人々によって夜から翌朝の日の出まで舞が奉納され、「高原の神舞」の一つとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。
スポンサーリンク
神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
例祭
祈年祭・特殊神事「苗代田祭」 2月18日
御田植祭 5月16日
例祭 10月23日
新嘗祭 11月23日
狭野神楽 12月第1土曜日
御田植祭 5月16日
例祭 10月23日
新嘗祭 11月23日
狭野神楽 12月第1土曜日
文化財
高原の神舞
国 重要無形民俗文化財
文化財種別不明 平成22年3月11日指定
文化財種別不明 平成22年3月11日指定
狭野のスギ並木
国 天然記念物
文化財種別不明 大正13年12月9日指定
文化財種別不明 大正13年12月9日指定
狭野神社のブッポウソウ繁殖地
国 天然記念物
文化財種別不明 昭和9年5月1日指定
文化財種別不明 昭和9年5月1日指定
苗代田祭
宮崎県 無形民俗文化財
文化財種別不明 平成11年9月27日指定
文化財種別不明 平成11年9月27日指定
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
公式サイト
https://sanojinjya.web.fc2.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
宮崎県
https://www.pref.miyagi.jp/site/sitei/kenzoubutu.html
https://sanojinjya.web.fc2.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
宮崎県
https://www.pref.miyagi.jp/site/sitei/kenzoubutu.html
