男成神社 - 神社ファン

有名度

前頭

男成神社

おとこなりじんじゃ

熊本県上益城郡山都町男成519

熊本県上益城郡山都町男成519

拝殿と本殿

Siwamura(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

男成神社以外にも 男成大明神 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 仕事
男成神社には

「仕事系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

伊勢・神明系」 「不明(1柱)」

です。
他に 「阿蘇系」 「祇園・須佐系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

男成神社は熊本県上益城郡山都町に鎮座する神社。御祭神は天照皇大神、神武天皇、神八井耳命、阿蘇十二神、須佐之男命、稲田姫神の6柱をまつる。
社格は旧郷社。
男成神社の由緒は、神武天皇76年(紀元前585年)3月に始まると伝えられる。神八井耳命の王子である健磐龍命が阿蘇国へ下向した際、この地に行宮を設けて斎庭を定め、天照皇大神、神武天皇、神八井耳命をまつったことが起源とされる。
舒明天皇12年(640年)6月には、阿蘇大宮司によって社が創建され、阿蘇神社祭神十二座が勧請された。この時、見立大明神と称されたという。
建久元年(1190年)6月15日には、素盞嗚男命を相殿にまつり、祇園宮と称した。さらに貞応元年(1222年)10月15日、岩尾城にいた阿蘇大宮司惟次が、長子の阿蘇惟義の加冠元服の式を男成神社の神前で執り行った。これを機に男成宮と称されるようになり、以後、阿蘇氏が岩尾城を本拠とした17代の間、歴代当主の冠礼が神前で行われたと伝えられる。男成神社は両益城郡と宇土郡三郡の惣鎮守として崇敬を集め、神領250町の寄進を受けた。また、肥後八社の一社に数えられ、国主や藩主の信仰を受けた。阿蘇氏が天正年間(1573~1592年)に阿蘇へ帰った後は元服の儀式は行われなくなったが、一代に一度は男成神社へ参詣したと伝えられている。
安政2年(1855年)2月には近火により社殿が焼失したが、文久2年(1862年)に本殿が再建され、明治9年(1876年)には拝殿が再建された。明治時代には郷社に列し、明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
境内には矢部町指定文化財が伝えられている。文明9年(1477年)、阿蘇大宮司阿蘇惟忠が出陣に際して奉納した「太刀一振銘友成」は社宝として保存されている。また、文化14年(1817年)2月29日に肥後熊本藩10代藩主細川斉茲が参拝後に揮毫し奉納した「男成社」の社号条幅も指定文化財となっている。
現在も春季例大祭が4月3日から4日にかけて行われ、少女神楽や芝居が奉納される。秋季例大祭は10月1日に斎行され、子供相撲が奉納されるなど、地域の祭礼が受け継がれている。
  • 郷社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E6%88%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE