到津八幡神社 - 神社ファン

有名度

前頭

到津八幡神社

いとづはちまんしゃ

福岡県北九州市小倉北区上到津1丁目8−1

福岡県北九州市小倉北区上到津1丁目8−1

拝殿

玄海093(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 子供
  • 安全
  • 厄除
  • 家庭
到津八幡神社には

「子供系」「安全系」「厄除・開運系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

安産守護 お子様の成長守護 水陸交通の安全 開運厄除け 家内安全 除災招福

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

到津八幡神社は福岡県北九州市小倉北区に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、多紀理比賣命、多岐都比賣命、市寸嶋比賣命、豊日別命の6柱をまつる。
社格は旧県社。
社伝では、神功皇后が三韓征伐の後、宇美の里で応神天皇を出産し、豊浦宮へ帰る途中に当地へ立ち寄ったと伝えられている。その後、神功皇后の和魂を祀る一祠が建てられたことが、到津八幡神社の始まりとされる。
社前を流れる板櫃川の水は産湯に用いられたと伝えられ、板櫃川は別名「産川」とも呼ばれる。周辺には現在も産川町の地名が残る。また、神功皇后を祀ることから、安産祈願の信仰を集めてきた。
文治4年(1188年)には宇佐八幡大神が勧請され、宇佐の支族が祭祀を担った。この頃から到津八幡神社の名で呼ばれるようになった。
永禄4年(1561年)、大友義鎮による宇佐宮攻撃で社殿が焼失した際には、宇佐宮の神官や社僧によって神輿が守られ、天正11年(1583年)までの23年間、神璽が到津社へ遷された。
天正14年(1586年)の戦乱により社殿は荒廃し、宝器も失われたが、慶長5年(1600年)に小倉へ入った細川忠興が再興を行い、小倉城の産土神として神領20石を寄進した。
寛永9年(1632年)に小笠原忠真が小倉藩主となると、小笠原氏も到津八幡神社を崇敬し、社殿の修理を行った。寛永10年(1633年)正月15日には、小笠原忠真が初めて参詣したと伝えられている。
慶応2年(1866年)の第二次長州征討では、10月15日に高槻村の天疫神社へ迂座した。明治時代に入ると郷社、のちに県社へ列せられた。
現在の本殿は明治29年(1896年)の再建で、本殿には海の生き物を題材とした彫刻が施されている。拝殿は昭和49年(1974年)の1400年祭にあわせて改築された。
境内には勘定稲荷神社と錦春稲荷神社が合祀されている。錦春稲荷神社は、水戸徳川家江戸屋敷の稲荷社を起源とし、関東大震災後に東京の兵器工場が小倉へ移転した際、石橋とともに当地へ移された。
  • 県社
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神社詳細

公式URL

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出典
公式サイト
http://itouzuhachiman.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%B0%E6%B4%A5%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE