美奈宜神社 福岡県朝倉市林田 - 神社ファン

有名度

前頭

美奈宜神社

みなぎじんじゃ

福岡県朝倉市林田210番

福岡県朝倉市林田210番

拝殿

内藤 尚武(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 恋愛
  • 健康
  • 仕事
  • 子供
  • 厄除
美奈宜神社には

「恋愛系」「健康系」「仕事系」「子供系」「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

災難除け 疫病除け 五穀豊穣 縁結び 商売繁盛 子授け 豊漁

御祭神

素戔嗚尊 すさのおのみこと
大己貴命 おおなむちのみこと
事代主命 ことしろぬしのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

祇園・須佐系」 「出雲・オオナムチ系」 「えびす系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

美奈宜神社は福岡県朝倉市に鎮座する神社。御祭神は素戔嗚尊、大己貴命、事代主命の3柱をまつる。
社格は名神大社であり、旧県社。
美奈宜神社の創建は、神功皇后摂政2年(202年)と伝えられている。社伝によれば、神功皇后が三韓征伐から帰国した後、航海中に祈願した素戔嗚命・大己貴命・事代主命を祀る地を定めるため、肥前国高橋の津から白鷺を放った。白鷺は筑後川沿いを飛び、清水の湧く場所に舞い降りたため、その地に出雲三神を祀る社が創建されたと伝えられる。
また、当地には神功皇后にまつわる伝承が残る。古処山に住む羽白熊鷲が人々を苦しめていた際、神功皇后は潮干玉と潮満玉を用いて討伐したとされる。その際、川蜷によって一夜で築かれた城を蜷城と呼び、この名が美奈宜の地名につながったと伝えられている。
天平2年(730年)、渤海王から朝廷へ進物が献上された際には名神祭が行われ、美奈宜神社には聖武天皇の勅命により勅使が参向し、進物の一部が献納されたと伝えられる。延長5年(927年)には『延喜式神名帳』に記載され、筑前国の式内社として名神大社に列した。
弘安2年(1279年)には長胤が内藤姓を名乗り、初代祭主となったと伝えられる。延元元年(1336年)の筑後川水城渡の戦では、菊池武敏軍と少弐頼尚軍の戦火によって社殿や宝物、記録類が焼失した。その後、足利尊氏による再興が伝えられている。
永正6年(1509年)には秋月種時が社殿を再建し、神輿と清道旗を奉納した。慶長6年(1601年)には黒田長政が社殿を造営し、下座郡総社と定めた。元禄15年(1702年)には神門、元禄17年(1704年)には石鳥居が建立された。文政11年(1828年)には黒田播磨によって社殿が改修され、弘化4年(1847年)には1650年祭が執行された。明治30年(1897年)には県社に昇格している。
現在の社殿は文政11年(1828年)の改修によるもので、元禄15年(1702年)の神門や元禄17年(1704年)の石鳥居も伝えられている。石鳥居には貝原益軒の妻・江島の筆による銘が刻まれている。
祭事としては、歳旦祭、春季例大祭、夏越祭・およど、神課祭、秋季例大祭・おくんち、新嘗祭などが行われる。秋季例大祭の御神幸では蜷城の獅子舞が奉納される。蜷城の獅子舞は福岡県指定無形民俗文化財で、昭和51年(1976年)4月に指定されている。
  • 県社
  • 名神大社
スポンサーリンク

神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

情報募集

例祭

情報募集

文化財

情報募集

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
公式サイト
http://minagijinjya.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%A5%88%E5%AE%9C%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%9C%9D%E5%80%89%E5%B8%82%E6%9E%97%E7%94%B0)