別宮八幡神社 徳島県徳島市応神町中原字宮ノ東 - 神社ファン

有名度

前頭

別宮八幡神社

べっくはちまんじんじゃ

徳島県徳島市応神町中原字宮ノ東35

徳島県徳島市応神町中原字宮ノ東35

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
別宮八幡神社には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

祭神

祭神

祭神

合祀神

合祀神

合祀神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

別宮八幡神社は徳島県徳島市に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、素戔嗚命、倉稲魂命、罔象女神の6柱をまつる。
社格は旧郷社。
社伝では、万寿2年(1025年)に山城国の石清水八幡宮を別宮浦(現在の徳島市川内町上別宮)へ分祀し、石清水八幡宮領であった萱島庄の守護神として奉斎したことに始まる。萱島庄は現在の川内町・応神町・松茂町・北島町付近にあたり、別宮八幡神社の社名は、石清水八幡宮の別宮であったことに由来すると伝えられている。
創建当初の鎮座地は別宮浦であったが、吉野川流域で度重なる水害を受けたため、現在地へ遷座した。『阿波志』には「旧別宮浦に在り其地没して河と為る因て移す」と記されている。遷座の時期については、文禄年間(1592年〜1596年)と伝えられている。
室町時代には細川氏との関わりが記録されている。文安4年(1447年)6月15日、四国管領細川勝元は社殿を改築し、2千貫文を寄進した。また神護寺を建立し、祭事を執行させたと伝えられている。その後、三好義賢は十六坊を置き、さらに社殿を改築して1千貫を献納した。
天正年間(1573年〜1592年)には長宗我部氏の兵乱によって社殿や寺坊が焼失した。阿波国へ蜂須賀氏が入国した後、社殿や寺坊は再建され、社領21石が与えられた。藩政期には、阿波国北方の武運長久を祈願する神社として、藩主による参拝奉幣が毎年行われたと伝えられている。明治7年(1874年)には郷社に列した。
『寛保改神社帳』には、「吉成村別宮八幡宮 別当吉成村 神宮寺覚蔵院 神主榎瀬村 九鬼因幡 神子三人有」と記されている。また『阿波志』には、三好氏が刀・鈴・旗地6段を納め、さらに7貫を寄進したことが記録されている。
境内にはクスノキがあり、平成10年(1998年)10月に徳島市指定天然記念物となった。秋の例祭に加え、旧暦2月17日の春祭では太々神楽、旧暦6月28日の夏祭では悪病除けの湯立神楽が執行され、近郷から多くの参拝者が訪れたという。
明治22年(1889年)、古川・中原・吉成・東貞方・西貞方の5か村が合併した際には、当社の祭神である応神天皇の御名にちなみ、「応神」の地名が名付けられた。例祭は10月15日である。
  • 郷社
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A5%E5%AE%AE%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE