両児神社 - 神社ファン

有名度

前頭

両児神社

ふたごじんじゃ

岡山県倉敷市松島943

岡山県倉敷市松島943

鳥居と階段

Sorrysorry (wikipedia CC0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 子供
  • 安全
  • 勝負
両児神社には

「仕事系」「子供系」「安全系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣 農業守護 安産 海上安全 国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(柱)」 「伊勢・神明系」 「月読系」 「八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

両児神社は岡山県倉敷市に鎮座する神社。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大神、月夜見大神、品陀和氣命の5柱をまつる。
社格は旧村社。
創建は約1800年前と伝わる。現在の倉敷市二子にある高鳥居山北方の宮所に社殿が建立されたとされる。社伝では、神功皇后が仲哀天皇とともに九州へ下り、熊襲を討った後、武内宿禰と大勢の海軍を率いて新羅へ出兵したことが伝えられている。
神功皇后は筑前国槽屋郡蚊田の産屋で皇子を出産した。この皇子が後の応神天皇である。皇后は大和国へ戻る途中、船路で二子の地に立ち寄り、熊襲・新羅戦勝の奉賽と皇子の安泰を神に祈願したという。皇子がこの地を訪れた際に2歳であったことから、宮は二子宮と称され、周辺も二ツ子の里と呼ばれるようになったと伝わる。
継体天皇11年春、品陀和氣命が合祀され、社号は五座八幡宮となった。その後、松島の霊地へ神光が渡ったとの伝承が残されており、称徳天皇の御代、神託によって現在地へ遷座したとされる。
万寿年間、この地域では干拓が進められ、一帯は万寿の庄と呼ばれるようになった。五座八幡宮は万寿の庄の総鎮守として崇敬を集めた。寛文7年(1667年)、岡山藩主池田光政による神仏分離にともない、近郷11カ村の小社・新社が相殿に合祀された。このとき、京都吉田家から春日神社の御神号を受けている。
寛政年間には、万寿の庄内の村々でそれぞれ産土神社が奉斎されるようになり、両児神社は松島・二子・西栗坂3カ村の鎮守となった。明治5年(1872年)、社号を両児神社へ改めている。
現在の祭典には、1月1日の歳旦祭、8月1日の夏越大祓祭、10月第3日曜日と翌日に行われる例大祭がある。例大祭では、甘酒、麦、小豆、エイのヒレ、湯葉、麺、ユリ根、芋、茸など36台の神饌が本殿内に供えられる。また、米粉を蒸して太い麺状にし結んで作る曲餅や、ご飯で作った御供も供えられている。
  • 村社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E5%85%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE
岡山県神社庁
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/