玉造稲荷神社分社 - 神社ファン

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玉造稲荷神社分社

たまつくりいなりじんじゃぶんしゃ

大阪府大阪市中央区上町1丁目8-4

😞 🙁 😐 🙂 😄

大阪府大阪市中央区上町1丁目8-4

かんたんご利益

  • 恋愛
  • 仕事
  • 学業
  • 子供
  • 家庭
玉造稲荷神社分社には

「恋愛系」「仕事系」「学業・技芸系」「子供系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

公

商工業発展(商売繁盛) 子孫繁栄(子授け) 芸能向上 縁結び 家内(社内)平安

御祭神

公

主神

宇迦之御魂大神 うがのみたまのおおかみ
下照姫命 したてるひめのみこと
雅日女命 わかひるめのみこと
月読命 つきよみのみこと
軻遇突智命 かぐつちのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

「稲荷系」

です。
他に 「不明(2柱)」 「月読系」 「愛宕・秋葉系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

玉造稲荷神社分社は大阪府大阪市中央区に鎮座する神社。御祭神は宇迦之御魂大神、下照姫命、雅日女命、月読命、軻遇突智命の5柱をまつる。
玉造稲荷神社の由緒は古く、社伝では垂仁天皇18年(紀元前12年)秋の創祀とされる。古代にはこの一帯が難波玉作部の居住地であったと伝えられ、玉造の地名発祥の地として位置づけられてきた。用明天皇2年(587年)には改築が行われ、聖徳太子が物部守屋との戦いに際してこの地に陣を敷き戦勝を祈願したとの伝承が残る。戦後には太子が観音堂を建立したと伝えられ、古くから信仰の拠点として機能していたことがうかがえる。
天正4年(1576年)の兵乱により本末社や旧記を焼失したが、その後の大坂城築城に伴い社域の多くは城下整備に組み込まれた。慶長8年(1603年)には豊臣秀頼によって社殿と高殿が再建されるが、大坂の陣で再び被害を受けることとなる。元和5年(1619年)には大坂城代内藤紀伊守をはじめとする氏子や崇敬者の寄進により復興し、大坂城の鎮守として崇敬を集めた。江戸時代には伊勢参宮へ向かう人々が道中安全を祈る出発地としても知られ、多くの参詣者でにぎわった。
文久3年(1863年)11月の大坂大火により焼失したが、明治4年(1871年)に再建され、のちに府社に列した。昭和20年(1945年)6月1日の戦禍を経ても祭祀は継続され、昭和29年(1954年)10月15日には社殿が遷座されている。昭和51年(1976年)には創祀2千年祭奉祝事業達成祈願祭が斎行され、平成元年(1989年)の創祀2千年祭にあわせて現在の上町の地に玉造稲荷神社分社が分祠された。本社の歴史と信仰は、分社を通じて現代へと受け継がれている。
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出典
公式サイト
https://www.inari.or.jp/