タカヒメ/シタテルヒメ
たかひめ/したてるひめ
- 神話・伝説
- 女神・女性

祭神ランキング122位
タカヒメ/シタテルヒメとは?
タカヒメは記紀神話などに登場する女神である。シタテルヒメとも呼ばれ、『古事記』では高比売命、下光比売命、下照比売、『日本書紀』では下照姫、高姫、稚国玉などと記す。『古事記』では大国主とタキリビメの間に生まれた神で、アヂスキタカヒコネを兄に持つ。夫はアメノワカヒコである。
『古事記』『日本書紀』には、大国主に国譲りを求めるため高天原から遣わされたアメノワカヒコが、タカヒメを妻とし、葦原中国を自分のものにしようとして高天原へ復命しなかったことが記されている。アメノワカヒコは、事情を尋ねるために遣わされた雉を射殺し、その矢を高天原から投げ返されて命を落とした。
タカヒメの泣き声が高天原まで届いたため、アメノワカヒコの父らが地上へ降り、喪屋を建てて葬儀を行った。兄のアヂスキタカヒコネも弔問に訪れたが、容姿が似ていたためアメノワカヒコと間違えられ、怒って喪屋を斬り倒して蹴り飛ばした。タカヒメは去っていく兄の名を明かす歌を詠み、この歌は『古事記』で夷振《ひなぶり》とされている。
伯耆国(現在の鳥取県)の倭文神社の社伝では、国譲りの後に出雲から海路で当地へ渡り、安産や利薬の普及に努めたと伝えられる。家庭平安・安産守護などの信仰があり、比賣神社(富山県南砺市)、玉津岡神社(京都府綴喜郡)、倭文神社(鳥取県東伯郡)などで祀られている。
エピソード
高天原の神々は葦原中国を譲らせるため、アメノワカヒコを地上へ遣わした。『古事記』では、アメノワカヒコは大国主の娘である下照比売を妻とし、葦原中国を自分のものにしようと企て、8年たっても高天原へ復命しなかったと記されている。『日本書紀』本文でも、顕国玉の娘である下照姫を妻として葦原中国を治めようとしたとされる。記紀には二神が恋に落ちたとは記されておらず、下照比売が夫に使命を忘れさせたわけでもない。
高天原から事情を尋ねるために雉が遣わされると、アメノワカヒコは天探女の言葉に従って雉を射殺した。その矢は高天原まで届き、タカミムスビによって地上へ投げ返され、アメノワカヒコの胸に当たった。夫が死ぬと、下照比売は声を上げて泣いた。その声は地上から高天原まで届き、アメノワカヒコの父である天津国玉神らが地上へ降り、喪屋を建てて葬儀を営むことになった。
『古事記』では、雁が供物を運び、鷺が喪屋を掃き、翡翠《かわせみ》が御食を供え、雀が米を搗き、雉が泣き女を務めたとされる。下照比売の泣き声は、夫の死を天上の一族へ知らせ、地上で葬送を始めさせる役割を果たした。下照比売は国譲りの使者を惑わせた女神ではなく、夫の死を悼む声によって天上と地上を結んだ女神として描かれているのである。
出典・参考:『古事記』上巻「天若日子の派遣」、『日本書紀』神代下第九段、國學院大學古典文化学事業「神名データベース 下光比売命」
アメノワカヒコの葬儀には、下照比売の兄であるアヂスキタカヒコネも弔問に訪れた。ところが、その姿がアメノワカヒコによく似ていたため、遺族は死者が生き返ったと思い、アヂスキタカヒコネに取りすがった。死者と間違えられたアヂスキタカヒコネは、親しい友を弔うために訪れたのに穢れた死者と同一視されたと怒り、剣を抜いて喪屋を斬り倒し、足で蹴り飛ばして立ち去った。
そこで高比売命は、去っていく神が誰であるのかを明らかにする歌を詠んだ。歌では兄の輝く姿を、天上の弟棚機《おとたなばた》が首にかける玉飾りにたとえ、二つの谷を照らして渡る神こそ阿遅志貴高日子根神であると、その名を歌い上げている。『古事記』はこの歌を夷振と記す。『日本書紀』の一書第一にも同系統の歌があり、下照媛が味耜高彦根神の妹として兄の名を明かしたとされる。
この場面で高比売命は、怒って去る神の正体を周囲へ伝える唯一の存在である。夫と兄は見分けがつかないほど似ていたが、高比売命の歌によって、死者と生者、天つ神と国つ神の違いが明確にされた。後世には歌に登場する弟棚機が七夕の織女星と結び付けられ、下照比売自身を織女星になぞらえる解釈も生まれた。下照比売が文芸や和歌の神として信仰される背景には、神の名と神性を歌によって世に示した、この夷振の伝承がある。
出典・参考:『古事記』上巻「天若日子の派遣」、『日本書紀』神代下第九段一書第一、國學院大學古典文化学事業「神名データベース 高比売命」「下光比売命」
記紀神話はアメノワカヒコの葬儀と兄の名を明かす歌を最後に、下照比売のその後を語っていない。一方、伯耆国(現在の鳥取県)には、下照姫命が国譲りの後に出雲国(現在の島根県)を離れ、海路で伯耆へ渡ったとする伝承が残されている。鳥取県東伯郡湯梨浜町の倭文神社に伝わる社伝では、下照姫命は宇野と宇谷の間にある仮屋崎へ着船し、従者とともに現在の社地へ移り住んだという。
下照姫命はこの地で、死去するまで安産の指導や農業開発、医薬の普及に努めたと伝えられている。着船地の周辺には、お腰掛け岩、お舟岩、亀石、化粧水などの名が残る。倭文神社の創立年代は明らかでないが、当地で倭文《しづおり》と呼ばれる織物が作られていたことから、倭文部の祖神である建葉槌命と、地域にゆかりの深い下照姫命が祀られたと考えられている。現在も下照姫命の夫や兄にあたるアメノワカヒコとアヂスキタカヒコネ、父神の大国主に関係する神々がともに祀られている。
やがて倭文の織物が地域から姿を消すと、下照姫命への安産信仰が強く残った。参道脇には、下照姫命の霊夢を受けた女性が安産したと伝える安産岩があり、現在も安産祈願の信仰を集めている。記紀では夫を失った姫神として描かれる下照比売が、伯耆では人々に出産や医薬の知識を伝え、土地の暮らしを支えた女神として受け継がれてきたのである。
出典・参考:鳥取県神社庁「倭文神社」、伯耆一ノ宮倭文神社公式サイト「倭文神社について」、湯梨浜町「湯梨浜町の名勝」
出典文献
古事記
日本書紀
先代旧事本紀
ご神徳
別称・異称
たかひめのみこと
古事記
下光比売命したてるひめのみこと
古事記
下照比売したてるひめ
古事記
下照姫したてるひめ
日本書紀/先代旧事本紀
下照媛したてるひめ
日本書紀
稚国玉わかくにたま
日本書紀
高姫たかひめ
日本書紀
祀られている主な神社
市比賣神社
(京都府下京区河原町五条下ル一筋目西入ル)
比賣許曽神社
(大阪府東成区東小橋3-8-14)
思金神社
(神奈川県栄区上郷町745-1)
比賣神社
(富山県南砺市高宮482番地)
上神神社
(岐阜県美濃市笠神588・589番地)
