比賣許曽神社 - 神社ファン

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比賣許曽神社

ひめこそじんじゃ

大阪府大阪市東成区東小橋3-8-14

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大阪府大阪市東成区東小橋3-8-14

拝殿

Saigen Jiro(wikipedia CC0)

かんたんご利益

御祭神

主祭神

下照比賣命 したてるひめのみこと

相殿

速素盞嗚命 はやすさのをのみこと

相殿

味鉏高彦根命 あじつきたかひこねのみこと

相殿

大小橋命 おをばせのみこと

相殿

大鷦鷯命 おほさざぎのみこと

相殿

橘豐日命 たちばなとよひのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
他に 「祇園・須佐系」 「不明(4柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

比賣許曽神社は大阪府大阪市東成区に鎮座する神社。御祭神は下照比賣命、速素盞嗚命、味鉏高彦根命、大小橋命、大鷦鷯命、橘豐日命の6柱をまつる。
社格は名神大社であり、旧村社。
社伝では、垂仁天皇2年、愛久目山と呼ばれた現在の天王寺区小橋町一帯の高台に下照比賣命を祀ったことを創祀とする。古代の比賣許曽社は『古事記』と『日本書紀』にも登場する。『古事記』応神天皇段では、新羅で生まれた赤い玉が女神となり、天之日矛の妻となったのち日本へ渡り、難波の比売碁曾社に鎮座する阿加流比売神となったと記されている。『日本書紀』垂仁天皇2年是歳条の一書には、都怒我阿羅斯等が得た白石が童女となり、その童女が日本へ渡って難波の比売語曽社の神となったとの伝承が記されている。
その後、社伝では顕宗天皇の時代に社殿が造営され、正遷宮に際して天皇の行幸があったと伝える。推古天皇15年には正遷宮が行われ、聖徳太子が供奉したとの伝承も残されている。平安時代に入ると、貞観元年(859)1月27日、『日本三代実録』に摂津国の下照比女神へ従四位下を授けたことが記録された。
延長5年(927)に完成した『延喜式』神名帳には、摂津国東生郡の「比売碁曽神社」として記載され、名神大社に列している。また、下照比売社の名でも記録され、月次祭や相嘗祭など朝廷の祭祀に預かる神社であった。社地は中世まで現在地とは異なり、創祀の地と伝えられる愛久目山にあったとされる。
天正年間には石山合戦に伴う兵火によって社殿を焼失した。その後、比賣許曽神社は現在の東小橋へ移転し、豊臣秀吉の庇護を受けて再建された。江戸時代には東小橋村の氏神として祀られ、現在の境内周辺は東小橋村の中心部にあたった。明治時代に入ると近代社格制度のもとで村社に列し、旧東小橋村一帯を氏子区域として祭祀が続けられた。
  • 村社
  • 名神大社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E5%A3%B2%E8%A8%B1%E6%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
大阪府神社庁
https://www.osaka-jinjacho.jp/