有名度
前頭上位四條畷神社
しじょうなわてじんじゃ
大阪府四條畷市南野2-18-1
大阪府四條畷市南野2-18-1

切干大根(wikipedia CC 表示-継承 4.0)
かんたんご利益
ご利益
心願成就
御祭神
主祭神
楠木正行(小楠公) くすのきまさつら(しょうなんこう)
配祀
楠木正時 くすのきまさとし
配祀
楠木正家 くすのきまさいえ
配祀
楠木正家子息 くすのきまさいえのしそく
配祀
和田賢秀 にぎたけんしゅう
配祀
和田正朝 わだまさとも
配祀
和田紀六左衞門 不明
配祀
和田紀六左衞門子息 不明
配祀
和田紀六左衞門子息 不不明
配祀
大塚惟久 不明
配祀
畠山與三職俊 はたけやまろくろう
配祀
畠山六郎 不明
配祀
野田四郎 不明
配祀
野田四郎子息 不明
配祀
野田四郎子息 不明
配祀
金岸(某) 不明
配祀
金岸(某)弟 不明
配祀
關住良圓 せきじりょうえん
配祀
關住良圓子息 せきじりょうえんのしそく
配祀
三輪西阿 みわせいあ
配祀
三輪西阿子息 みわせいあのしそく
配祀
河邊石掬丸 不明
配祀
誉田(某) 不明
配祀
阿間了願 あんまりょうがん
配祀
青屋刑部 不明
神社系統
この神社の主な系統は
「楠木系」
です。他に 「不明(24柱)」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
四條畷神社は大阪府四條畷市に鎮座する神社。御祭神は楠木正行(小楠公)、楠木正時、楠木正家、楠木正家子息、和田賢秀、和田正朝、和田紀六左衞門、和田紀六左衞門子息、和田紀六左衞門子息、大塚惟久、畠山與三職俊、畠山六郎、野田四郎、野田四郎子息、野田四郎子息、金岸(某)、金岸(某)弟、關住良圓、關住良圓子息、三輪西阿、三輪西阿子息、河邊石掬丸、誉田(某)、阿間了願、青屋刑部の25柱をまつる。
社格は旧別格官幣社、現在は別表神社
正平3年(1348)1月5日、南朝方の楠木正行は弟の楠木正時らとともに、四條畷の戦いで北朝方の高師直・高師泰の軍と戦った。正行は決戦を前に吉野の行宮で後村上天皇に拝謁し、後醍醐天皇陵を参拝した。その後、如意輪堂の壁板に一族143人の名と辞世の歌を残して出陣したと伝わる。
正行は約3000の兵を率いて枚岡の往生院に陣を置き、野崎方面に布陣した高師直の軍と交戦した。激戦の末、正行は弟の正時をはじめ多くの一族・郎党とともに没した。正行の墓は現在の小楠公御墓所にあり、墓所に植えられた楠は成長して大木となり、大阪府指定天然記念物に指定されている。
明治時代に入ると、楠木正行を祭神とする神社の創建が進められた。住吉平田神社の神職・三牧文吾らが創建を願い出し、明治21年(1888)には社殿の造立と社号の下賜を求める願書が提出された。社地については正行の墓所付近などが検討された後、飯盛山西麓の現在地に定められた。
明治22年(1889)、神社創建の勅許が下り、四條畷神社の社号が定められた。境内地や金品の寄進を受け、地域住民も土運びや石積みなどに参加して社殿の造営が進められた。明治23年(1890)4月5日に御鎮座祭が斎行され、楠木正行と四條畷の戦いでともに没した一族・郎党が祀られた。
本殿は明治23年(1890)の創建時に建立された建物である。拝殿は御鎮座90年を記念して昭和56年(1981)に改築された。本殿正面の鳥居は、平成2年(1990)の御鎮座100年に際して伊勢神宮から下賜されたものである。
境内には楠木正行の母を祀る御妣神社、菅原道真を祀る楠天神社、有源招魂社などが鎮座する。神社の西方には楠木正行の小楠公御墓所があり、第一鳥居から北へ約200mの場所には、四條畷の戦いで正行とともに戦った和田賢秀の墓がある。
祭事では、御鎮座日の4月5日に春季大祭、10月5日に秋季大祭が斎行される。このほか、6月30日の夏越大祓式、11月23日の新嘗祭などが行われている。
社格は旧別格官幣社、現在は別表神社
正平3年(1348)1月5日、南朝方の楠木正行は弟の楠木正時らとともに、四條畷の戦いで北朝方の高師直・高師泰の軍と戦った。正行は決戦を前に吉野の行宮で後村上天皇に拝謁し、後醍醐天皇陵を参拝した。その後、如意輪堂の壁板に一族143人の名と辞世の歌を残して出陣したと伝わる。
正行は約3000の兵を率いて枚岡の往生院に陣を置き、野崎方面に布陣した高師直の軍と交戦した。激戦の末、正行は弟の正時をはじめ多くの一族・郎党とともに没した。正行の墓は現在の小楠公御墓所にあり、墓所に植えられた楠は成長して大木となり、大阪府指定天然記念物に指定されている。
明治時代に入ると、楠木正行を祭神とする神社の創建が進められた。住吉平田神社の神職・三牧文吾らが創建を願い出し、明治21年(1888)には社殿の造立と社号の下賜を求める願書が提出された。社地については正行の墓所付近などが検討された後、飯盛山西麓の現在地に定められた。
明治22年(1889)、神社創建の勅許が下り、四條畷神社の社号が定められた。境内地や金品の寄進を受け、地域住民も土運びや石積みなどに参加して社殿の造営が進められた。明治23年(1890)4月5日に御鎮座祭が斎行され、楠木正行と四條畷の戦いでともに没した一族・郎党が祀られた。
本殿は明治23年(1890)の創建時に建立された建物である。拝殿は御鎮座90年を記念して昭和56年(1981)に改築された。本殿正面の鳥居は、平成2年(1990)の御鎮座100年に際して伊勢神宮から下賜されたものである。
境内には楠木正行の母を祀る御妣神社、菅原道真を祀る楠天神社、有源招魂社などが鎮座する。神社の西方には楠木正行の小楠公御墓所があり、第一鳥居から北へ約200mの場所には、四條畷の戦いで正行とともに戦った和田賢秀の墓がある。
祭事では、御鎮座日の4月5日に春季大祭、10月5日に秋季大祭が斎行される。このほか、6月30日の夏越大祓式、11月23日の新嘗祭などが行われている。
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神社詳細
摂末社・境内社
例祭
例祭 2月12日
文化財
太刀 銘
国 重要文化財
包永 工芸品
包永 工芸品
伝和田賢秀墓
大阪府 史跡
文化財種別不明 昭和45年12月7日指定
文化財種別不明 昭和45年12月7日指定
伝楠木正行墓
大阪府 史跡
文化財種別不明 昭和46年3月31日指定
文化財種別不明 昭和46年3月31日指定
四條畷楠木正行墓のくす
大阪府 天然記念物
文化財種別不明 昭和46年3月31日指定
文化財種別不明 昭和46年3月31日指定
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%A2%9D%E7%95%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
大阪府
https://www.pref.osaka.lg.jp/bunkakyouiku/rekishibunkazai/bunkazai/index.html
大阪府神社庁
https://www.osaka-jinjacho.jp/
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%A2%9D%E7%95%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
大阪府
https://www.pref.osaka.lg.jp/bunkakyouiku/rekishibunkazai/bunkazai/index.html
大阪府神社庁
https://www.osaka-jinjacho.jp/
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年
