楠正行
くすのきまさつら
- 歴史的人物
- 男神・男性

水野年方(楠正行弁の内侍を救ふ図 パブリック・ドメイン)

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング655位
- 武人
南北朝 [1326年~1348年]
楠正行とは?
楠正行(?-1348)は鎌倉時代末期~南北朝時代の人物。楠正成の子。正確な生年は不詳だが、1310年~1326年頃の生まれとみられる。河内国(現在の大阪府)の御家人・楠正成の長男として誕生。湊川の戦いにて正成が戦死すると、父の遺領を継いで河内国の国司となった。河内守となって7年間は戦を行わなかったが、これについては「幕府と戦うために力を蓄えていた」という説と「正行は和平派で戦いを好まなかった」という説がある。いずれにせよ1347年に南朝の中心人物であった北畠親房の主戦論が主流になると、正行も南朝軍と共に兵を起こし、対室町幕府の矢面に立つことになった。挙兵後、正行率いる軍は幕府の大軍を立て続けに破り、北朝側に「不可思議のことなり(人智を超えている)」と畏怖されている。こうした事績から正行は南北朝時代を代表的する名将として知られているが、1348年の四条畷の戦いではとうとう幕府軍に大敗を喫し、弟・正時と刺し違える形で自刃したという。 正行の伝承には、彼の人柄の良さを伝えるものが多い。そのため正行はいつしか博愛・忠臣・孝子の象徴となり、現在は大阪府四條畷市の四條畷神社の主祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
小楠公しょうなんこう
その他
