大塩八幡宮 - 神社ファン

有名度

前頭

大塩八幡宮

おおしおはちまんぐう

福井県越前市国兼町22-2

福井県越前市国兼町22-2

鳥居

Akeiro Torii(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
大塩八幡宮には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

帯中日子天皇 たらしなかつひこのみかど
応神天皇 おうじんてんのう
神功皇后 じんぐうこうごう

合祀

王子保区内の12神社16柱の神(12の神社は大神下前神社・宇佐神社・愛宕神社・若宮神社・日野神社・日吉神社・小白山神社・癒瘡神社・天神社・住吉神社・若宮神社・稲荷神社) おうしおくないの12じんじゃ16はしらのかみ(おおみわしもさきじんじゃ

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
他に 「愛宕・秋葉系」 「日吉・山王系」 「白山系」 「天満・天神系」 「稲荷系」 「不明(4柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

大塩八幡宮は福井県越前市に鎮座する神社。御祭神は、帯中日子天皇、応神天皇、神功皇后、王子保区内の12神社16柱の神(12の神社は大神下前神社・宇佐神社・愛宕神社・若宮神社・日野神社・日吉神社・小白山神社・癒瘡神社・天神社・住吉神社・若宮神社・稲荷神社)をまつる。
社格は旧県社。
当社の創祀は寛平3年(891年)に遡る。もとは、讒言によって越前国府に配流された中納言である紀友仲が、配流地近くの現社地に榊を植えて祈願し、都への帰洛を願ったところ、寛平元年(889年)に勅許を得て京都へ戻ることができたと伝えられる。そして同年を経た寛平3年(891年)に、京都の石清水八幡宮の神霊を勧請して社殿を造営し、大塩保(おおしおのほ)の鎮守としたのが始まりである。郡内の主要な社として「二宮」と称された。その後、寿永2年(1183年)には木曾義仲が境内に本陣を構えて滞在し、鎌倉幕府から田地を寄進されたという記録がある。建武年間(1334~1338年)には斯波高経によって造営が行われ、それ以降も斯波氏や朝倉氏といった守護武士らの崇敬を受け、田畑や山林が寄進され、社殿の造営・修復が重ねられて繁栄を保った。しかしながら戦国期、天正年間(1573~1592年)には一揆や太閤検地などによって社領を失い、衰退の時期を迎えた。それでも慶長8年(1603年)に福井藩の祖である結城秀康が社領30石を寄進し、家臣の本多富正が武運長久を祈願して寄進を行ったことによって復興が始まり、元和9年(1623年)には秀康の子である松平忠直によってさらに20石が加増され、以後江戸時代を通じて福井藩主から崇敬を受けた。明治時代になると、明治4年(1871年)に郷社に列し、明治7年(1874年)には県社に昇格、その後は神社本庁に属するようになった。
拝殿は正面7間、側面4間の入母屋造、こけら葺きで、身舎(正面5間・側面2間)に一間の庇を備え、柱と梁の構造、壁や縁を持たない開放的な構造である。木割(柱の太さ)も太く、類例の少ない大規模な構造であることから、昭和53年(1978年)に国の重要文化財に指定された。境内には、かつて別地に鎮座していた式内社の論社である高岡神社、天八百萬比咩神社、天国津彦神社、天国津比咩神社などが合祀・遷座されており、古代からの信仰の継承と地域の神社統合の歴史を伝えている。
  • 県社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%A9%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
福井県神社庁
https://www.jinja-fukui.jp/