氷川鍬神社 - 神社ファン

有名度

前頭

氷川鍬神社

ひかわくわじんじゃ

埼玉県上尾市宮本1-14

埼玉県上尾市宮本1-14

拝殿

あばさー (wikipedia パブリック・ドメイン)

氷川鍬神社以外にも 御鍬太神宮 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 恋愛
  • 健康
  • 仕事
氷川鍬神社には

「恋愛系」「健康系」「仕事系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

五穀豊穣 農業守護 恋愛成就 疫病除け

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

御鍬系」 「氷川系

です。
他に 「天満・天神系」 「浅間・サクヤビメ系」 「八雷系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

氷川鍬神社は埼玉県上尾市に鎮座する神社。御祭神は豊鍬入姫命、稲田姫命、菅原道實公、木花之開耶姫命、應神天皇の5柱をまつる。
社格は旧村社。
社伝ならびに地元の伝承によれば、寛永8年(1631年)12月25日、桶川宿方面から童子(わらべ)が櫃(ひつ)を台車に載せて歌い踊りながら上尾宿へ送って来た。櫃はその後一旦江戸まで運ばれたが、12月31日に上尾宿に戻された際、本陣前で台車が動かなくなった。童子はその後行方不明となる。翌正月、櫃を開けると中には鍬二挺(小鍬2本)と稲穂十余本が入っていた。これを御神体として祠を立て祀ったのが始まりと伝わる。これが「御鍬太神宮(おくわだいじんぐう)」と称された所以である。江戸時代末期、天明8年(1788年)に山崎武平次らの地元の有志が、江戸から有名な学僧・雲室を招き、宿内に郷学「聚正義塾」を設立した。この学塾では朱子学や菅原道真を祀り、「二賢堂(にけんどう)」として親しまれた。このことは、当社が単なる信仰の場にとどまらず、地域教育と文化の拠点となっていたことを示す。境内にはこの「二賢堂」の扁額および碑文などが遺されている。
明治時代の神社制度改革の一環として、1908年(明治41年)に、二ツ宮の氷川神社の女体社、八幡社、浅間社などを合祀し、それまでの名称「鍬大神宮/御鍬太神宮」から「氷川鍬神社」と改称された。これによって、上尾宿総鎮守としての地位がさらに明確になった。
上尾駅から徒歩3分という近さにあり、散歩や駅前・買い物のついでに立ち寄りやすい。
  • 村社
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神社詳細

摂末社・境内社

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E9%8D%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE
埼玉県神社庁
https://www.saitama-jinjacho.or.jp/