有名度
十両多賀神社
たがじんじゃ
岩手県盛岡市永井24-18
岩手県盛岡市永井24-18

かんたんご利益
- 恋愛
- 健康
- 厄除
多賀神社には
「恋愛系」「健康系」「厄除・開運系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
延命長寿 縁結び 厄除け
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「多賀系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
多賀神社は岩手県盛岡市に鎮座する神社。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、宇迦御魂命、品牟陀和気命の4柱をまつる。
社格は旧村社。
創祀年代は明らかではないが、盛岡藩士・阿野兵部左衛門が知行地のうち百間四方を寄進して創建したと伝えられている。阿野氏は近江国滋賀郡阿野村を祖とする一族で、代々受け継いできた多賀神への信仰が神社創建の由来とされる。宝暦10年(1760)頃に編纂された『御領分社堂』には永井村の「多賀大明神」として記載され、本殿は三尺四面の板葺で二間四面の鞘堂に納められ、清九郎が俗別当を務めていた。当時は社勢も盛んで、徳田の光照、見前の北野、煙山の諏訪と並ぶ規模の神社として知られていた。
境内には、明和4年(1767)7月10日、嘉永2年(1849)7月20日、文久4年(1864)3月の再建を記した棟札が伝わるほか、内陣には嘉永7年(1854)に下永井村若者中、文久2年(1862)に上永井村若者中が奉納した納札が残されている。また、拝殿には「多賀社」の扁額や馬を描いた絵馬が奉納されている。明治3年(1870)11月には盛岡県庁が原田氏を神主に任命し、明治4年(1871)には第10区の郷社となったが、翌明治5年(1872)の行政区改正により旧飯岡村の村社となった。現在の境内には本殿、幣殿、拝殿のほか神楽殿と舞踏殿が建ち、例祭は毎年9月2日に斎行されている。
社格は旧村社。
創祀年代は明らかではないが、盛岡藩士・阿野兵部左衛門が知行地のうち百間四方を寄進して創建したと伝えられている。阿野氏は近江国滋賀郡阿野村を祖とする一族で、代々受け継いできた多賀神への信仰が神社創建の由来とされる。宝暦10年(1760)頃に編纂された『御領分社堂』には永井村の「多賀大明神」として記載され、本殿は三尺四面の板葺で二間四面の鞘堂に納められ、清九郎が俗別当を務めていた。当時は社勢も盛んで、徳田の光照、見前の北野、煙山の諏訪と並ぶ規模の神社として知られていた。
境内には、明和4年(1767)7月10日、嘉永2年(1849)7月20日、文久4年(1864)3月の再建を記した棟札が伝わるほか、内陣には嘉永7年(1854)に下永井村若者中、文久2年(1862)に上永井村若者中が奉納した納札が残されている。また、拝殿には「多賀社」の扁額や馬を描いた絵馬が奉納されている。明治3年(1870)11月には盛岡県庁が原田氏を神主に任命し、明治4年(1871)には第10区の郷社となったが、翌明治5年(1872)の行政区改正により旧飯岡村の村社となった。現在の境内には本殿、幣殿、拝殿のほか神楽殿と舞踏殿が建ち、例祭は毎年9月2日に斎行されている。
スポンサーリンク
神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
https://www.jinjacho.jp/
