有名度
前頭上位霧島岑神社
きりしまみねじんじゃ
宮崎県小林市大字細野4937番
宮崎県小林市大字細野4937番

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かんたんご利益
- 恋愛
- 安全
- 家庭
霧島岑神社には
「恋愛系」「安全系」「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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ご利益
想
国家安泰 旅行安全 縁結び 家内安全
御祭神
瓊瓊杵尊 ににぎのみこと
木花咲夜姫命 このはなさくやひめのみこと
彦火々出見命 ひこほほでみのみこと
豊玉姫命 とよたまひめのみこと
鸕鷀草葺不合命 うがやふきあえずのみこと
玉依姫命 たまよりひめのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「霧島系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
霧島岑神社は宮崎県小林市に鎮座する神社。御祭神は瓊瓊杵尊、木花咲夜姫命、彦火々出見命、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合命、玉依姫命の6柱をまつる。
社格は式内社(論社)であり、旧県社。
創建年代は不詳である。平安時代初期の承和4年(837)、『続日本後紀』に日向国諸県郡の霧島岑神が官社に預かり、のちに従五位上を授けられたことが記されている。天安2年(858)には従四位下に叙せられ、延長5年(927)成立の『延喜式神名帳』では日向国の式内社4座の1社に数えられた。
霧島岑神社は、もとは高千穂峰中腹の瀬多尾と呼ばれた高地に鎮座していた。天慶・天暦年間頃には性空上人が霧島山に入り、霧島岑神社に参籠したと伝えられる。性空上人は山麓に夷守神社などを設け、霧島岑神社を含めた神社は後に霧島六社権現と称された。霧島岑神社は霧島中央権現、鎮座地から瀬多尾権現とも称され、別当寺として瀬戸尾寺が置かれた。
天永3年(1112)には霧島山の噴火で社殿を焼失し、仁安2年(1167)にも噴火によって社殿を焼失したが、その都度再建された。文暦元年(1234)には火常峰(御鉢)の大噴火で再び社殿が焼失した。境内に湧いていた天之井も涸れたため、末社の霧島王子神社付近へ遷座し、この地は新瀬戸尾と呼ばれた。
新瀬戸尾への遷座から約480年後の享保元年(1716)、新燃岳の大噴火によって社殿や宝物類が焼失した。翌享保2年(1717)には大量の降灰で境内一帯が埋没したが、別当の恵宝法院隆盛、小林の社家らが御神体を探し出し、柴神輿に移して今坊権現社付近へ奉遷した。その後も噴火が続いたため、御神体は細野村岡原の仮殿へ遷された。
火山活動が収まった後も新瀬戸尾への復帰は行われず、享保14年(1729)に夷守岳中腹へ社殿を建立して遷座した。江戸時代には島津氏の崇敬を受け、島津義弘も飯野城在城時に参詣している。島津義弘の寄進状には、神領として毎年俵物100ずつを寄進したことが記されている。
明治初年に霧島岑神社へ改称し、明治期には県社に列した。明治6年(1873)には夷守神社を霧島岑神社へ合祀したうえで、旧夷守神社跡である現在地へ霧島岑神社を遷した。明治13年(1880)には霧島神宮の摂社となった。
現在の本殿は流破風造で、拝殿を備える。社殿には文久2年(1862)に造られた雲龍巻柱が残る。向拝の2本の柱に龍と瑞雲を高浮彫りし、向かって右を口を開いた阿形、左を口を閉じた吽形とする白木造りの彫刻で、令和2年(2020)8月25日に小林市指定有形文化財となった。もとは夷守神社の社殿に造られたもので、明治期の合祀後も現在地に残されている。
瓊瓊杵尊、木花咲夜姫命、彦火々出見命、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合命、玉依姫命を表した御神像6躰も小林市指定有形文化財である。例祭は11月18日で、1月7日の七草祝祭、3月18日の祈年祭、6月30日と12月31日の大祓式などが行われる。
社格は式内社(論社)であり、旧県社。
創建年代は不詳である。平安時代初期の承和4年(837)、『続日本後紀』に日向国諸県郡の霧島岑神が官社に預かり、のちに従五位上を授けられたことが記されている。天安2年(858)には従四位下に叙せられ、延長5年(927)成立の『延喜式神名帳』では日向国の式内社4座の1社に数えられた。
霧島岑神社は、もとは高千穂峰中腹の瀬多尾と呼ばれた高地に鎮座していた。天慶・天暦年間頃には性空上人が霧島山に入り、霧島岑神社に参籠したと伝えられる。性空上人は山麓に夷守神社などを設け、霧島岑神社を含めた神社は後に霧島六社権現と称された。霧島岑神社は霧島中央権現、鎮座地から瀬多尾権現とも称され、別当寺として瀬戸尾寺が置かれた。
天永3年(1112)には霧島山の噴火で社殿を焼失し、仁安2年(1167)にも噴火によって社殿を焼失したが、その都度再建された。文暦元年(1234)には火常峰(御鉢)の大噴火で再び社殿が焼失した。境内に湧いていた天之井も涸れたため、末社の霧島王子神社付近へ遷座し、この地は新瀬戸尾と呼ばれた。
新瀬戸尾への遷座から約480年後の享保元年(1716)、新燃岳の大噴火によって社殿や宝物類が焼失した。翌享保2年(1717)には大量の降灰で境内一帯が埋没したが、別当の恵宝法院隆盛、小林の社家らが御神体を探し出し、柴神輿に移して今坊権現社付近へ奉遷した。その後も噴火が続いたため、御神体は細野村岡原の仮殿へ遷された。
火山活動が収まった後も新瀬戸尾への復帰は行われず、享保14年(1729)に夷守岳中腹へ社殿を建立して遷座した。江戸時代には島津氏の崇敬を受け、島津義弘も飯野城在城時に参詣している。島津義弘の寄進状には、神領として毎年俵物100ずつを寄進したことが記されている。
明治初年に霧島岑神社へ改称し、明治期には県社に列した。明治6年(1873)には夷守神社を霧島岑神社へ合祀したうえで、旧夷守神社跡である現在地へ霧島岑神社を遷した。明治13年(1880)には霧島神宮の摂社となった。
現在の本殿は流破風造で、拝殿を備える。社殿には文久2年(1862)に造られた雲龍巻柱が残る。向拝の2本の柱に龍と瑞雲を高浮彫りし、向かって右を口を開いた阿形、左を口を閉じた吽形とする白木造りの彫刻で、令和2年(2020)8月25日に小林市指定有形文化財となった。もとは夷守神社の社殿に造られたもので、明治期の合祀後も現在地に残されている。
瓊瓊杵尊、木花咲夜姫命、彦火々出見命、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合命、玉依姫命を表した御神像6躰も小林市指定有形文化財である。例祭は11月18日で、1月7日の七草祝祭、3月18日の祈年祭、6月30日と12月31日の大祓式などが行われる。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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例祭
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文化財
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建築
本殿 流造
神紋
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出典
公式サイト
https://www.pmiyazaki.com/kirishimamine_j/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E5%B3%B6%E5%B2%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://www.pmiyazaki.com/kirishimamine_j/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E5%B3%B6%E5%B2%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE
