有名度
前頭上位稲佐神社
いなさじんじゃ
佐賀県杵島郡白石町辺田2925番
佐賀県杵島郡白石町辺田2925番

山重(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
かんたんご利益
- 家庭
稲佐神社には
「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
御祭神
五十猛神 いたけるのかみ
大屋津姫神 おほやつひめのかみ
柧津姫神 つまつひめのかみ
合祀
阿佐王子 あさたいし
合祀
聖明王 せいめいおう
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(3柱)」
です。他に 「不明(2柱)」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
稲佐神社は佐賀県杵島郡白石町に鎮座する神社。御祭神は五十猛神、大屋津姫神、柧津姫神、阿佐王子、聖明王の5柱をまつる。
社格は国史見在社であり、旧県社。
創建年代は明らかではない。大同2年(807)の創祀とする伝承があるほか、推古天皇の時代の創建とも伝えられ、平安時代初期にはすでにまつられていたとされる。
稲佐神社には百済の聖明王にまつわる伝承が残る。西国寺社奉行・伊豆藤内による「稲佐神社再興表文」には、欽明天皇の時代、百済の聖明王が新羅との戦いで没した後、王子の余昌や弟の恵らが妻子・一族を率いて日本へ渡ったと記されている。余昌は父・聖明王の遺骨を稲佐山の山頂に葬り、稲佐大明神としてまつったと伝えられている。
平安時代には朝廷から神階を授けられ、貞観3年(861)に従五位下、仁和元年(885)には従五位上へ進んだ。
建久7年(1196)には、近在の地頭職であった白石五郎道益が武人に流鏑馬を行わせたと伝えられている。正応5年(1292)の「惣田数注文」には「稲佐社十町」と記されている。
神仏習合の時代には稲佐神社周辺に真言宗寺院が置かれ、一帯は「稲佐山泰平寺」と呼ばれた。稲佐十六坊が営まれ、稲佐神社はその鎮守とされた。現在も周辺には東明寺の石造十六羅漢像など、当時の仏教文化に関わる遺構が残る。
戦国時代から江戸時代にかけては龍造寺氏や鍋島氏の崇敬を受け、山林や田畑の寄進、社殿の修復などが行われた。「稲佐神社文書」11通には、佐賀藩初代藩主・鍋島勝茂の判物、黒印状、書状、鍋島氏家老の連署条書などが含まれ、白石町重要文化財に指定されている。
境内へ続く参道には5基の鳥居が並ぶ。このうち四の鳥居は天正13年(1585)の銘を持つ石造肥前鳥居で、高さ約3.8m、笠木の長さ約4.5mを測り、柱・笠石・貫はそれぞれ3本継ぎとなっている。県内最古期の肥前鳥居で、2021年(令和3年)5月11日に佐賀県重要文化財に指定された。
境内には大楠が生育し、そのうち2株は1965年(昭和40年)7月23日に佐賀県天然記念物に指定された。いずれも推定樹齢600年以上で、1株は樹高17m、もう1株は樹高26.5mに達する。
例祭は毎年10月19日に行われ、渡御や流鏑馬式が執り行われる。流鏑馬は建久7年(1196)に白石五郎道益が武人に行わせたと伝えられる祭事である。このほか、210日の掛け参り・鐘浮立、12月下旬のお火たき祭りが行われている。
社格は国史見在社であり、旧県社。
創建年代は明らかではない。大同2年(807)の創祀とする伝承があるほか、推古天皇の時代の創建とも伝えられ、平安時代初期にはすでにまつられていたとされる。
稲佐神社には百済の聖明王にまつわる伝承が残る。西国寺社奉行・伊豆藤内による「稲佐神社再興表文」には、欽明天皇の時代、百済の聖明王が新羅との戦いで没した後、王子の余昌や弟の恵らが妻子・一族を率いて日本へ渡ったと記されている。余昌は父・聖明王の遺骨を稲佐山の山頂に葬り、稲佐大明神としてまつったと伝えられている。
平安時代には朝廷から神階を授けられ、貞観3年(861)に従五位下、仁和元年(885)には従五位上へ進んだ。
建久7年(1196)には、近在の地頭職であった白石五郎道益が武人に流鏑馬を行わせたと伝えられている。正応5年(1292)の「惣田数注文」には「稲佐社十町」と記されている。
神仏習合の時代には稲佐神社周辺に真言宗寺院が置かれ、一帯は「稲佐山泰平寺」と呼ばれた。稲佐十六坊が営まれ、稲佐神社はその鎮守とされた。現在も周辺には東明寺の石造十六羅漢像など、当時の仏教文化に関わる遺構が残る。
戦国時代から江戸時代にかけては龍造寺氏や鍋島氏の崇敬を受け、山林や田畑の寄進、社殿の修復などが行われた。「稲佐神社文書」11通には、佐賀藩初代藩主・鍋島勝茂の判物、黒印状、書状、鍋島氏家老の連署条書などが含まれ、白石町重要文化財に指定されている。
境内へ続く参道には5基の鳥居が並ぶ。このうち四の鳥居は天正13年(1585)の銘を持つ石造肥前鳥居で、高さ約3.8m、笠木の長さ約4.5mを測り、柱・笠石・貫はそれぞれ3本継ぎとなっている。県内最古期の肥前鳥居で、2021年(令和3年)5月11日に佐賀県重要文化財に指定された。
境内には大楠が生育し、そのうち2株は1965年(昭和40年)7月23日に佐賀県天然記念物に指定された。いずれも推定樹齢600年以上で、1株は樹高17m、もう1株は樹高26.5mに達する。
例祭は毎年10月19日に行われ、渡御や流鏑馬式が執り行われる。流鏑馬は建久7年(1196)に白石五郎道益が武人に行わせたと伝えられる祭事である。このほか、210日の掛け参り・鐘浮立、12月下旬のお火たき祭りが行われている。
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神社詳細
摂末社・境内社
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例祭
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文化財
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建築
本殿 入母屋造
神紋
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE
