有名度
前頭国分八幡宮
こくぶはちまんぐう
香川県高松市国分寺町国分2501
香川県高松市国分寺町国分2501

かんたんご利益
- 恋愛
- 子供
- 厄除
- 勝負
国分八幡宮には
「恋愛系」「子供系」「厄除・開運系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
必勝 大願成就 厄除け 方除け 安産 縁結び
御祭神
神日本磐余彦火々出見尊 かむやまといわれひこほほでみのみこと
足仲彦尊 たらしなかつひこのみこと
息長足姫尊 おきながたらしひめのみこと
譽田別尊 ほむだわけのみこと
白蛇大神 はくじゃのおおかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(2柱)」 「八幡系」
です。他に 「不明(0柱)」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
国分八幡宮は香川県高松市に鎮座する神社。御祭神は神日本磐余彦火々出見尊、足仲彦尊、息長足姫尊、譽田別尊、白蛇大神の5柱をまつる。
社格は旧郷社。
社伝では、国分八幡宮は天平勝宝年間、讃岐国分寺の表鬼門にあたる東北に創祀されたと伝わる。讃岐国分寺の鎮護神、阿野七郷の産土神として祀られ、讃岐国分寺正八幡の社号も伝わっている。
その後、空海が讃岐を巡錫した際、国分寺とともに国分八幡宮も修復したと伝わる。歴代の国分寺や讃岐国司の崇敬を受け、社殿は整えられていった。
天正年間には戦火によって焼失したが、慶長2年(1597年)に生駒氏によって再興された。寛永2年(1625年)には地震で本殿が損壊し、その後復興された。さらに万治年間(1658年~1661年)には再び社殿が炎上し、祀官の森口左近が現在の宮池付近から岩川山の祭祀地へ新殿を造営して遷座したと伝わる。以後は岩川八幡神社、国府八幡とも称され、昭和期に國分八幡宮へ改称した。
明治初年には村社となり、明治40年(1907年)10月24日に新撰幣帛料供進神社へ指定された。昭和10年(1935年)10月5日には郷社へ昇格している。
境内には一の鳥居、二の鳥居、随神門、拝殿、本殿、磐座、神明鳥居などが建つ。本殿裏には磐座があり、白蛇大神はこの磐座に生息していた白蛇の御霊として祀られている。例祭は毎年10月8日・9日の秋季例大祭である。
社格は旧郷社。
社伝では、国分八幡宮は天平勝宝年間、讃岐国分寺の表鬼門にあたる東北に創祀されたと伝わる。讃岐国分寺の鎮護神、阿野七郷の産土神として祀られ、讃岐国分寺正八幡の社号も伝わっている。
その後、空海が讃岐を巡錫した際、国分寺とともに国分八幡宮も修復したと伝わる。歴代の国分寺や讃岐国司の崇敬を受け、社殿は整えられていった。
天正年間には戦火によって焼失したが、慶長2年(1597年)に生駒氏によって再興された。寛永2年(1625年)には地震で本殿が損壊し、その後復興された。さらに万治年間(1658年~1661年)には再び社殿が炎上し、祀官の森口左近が現在の宮池付近から岩川山の祭祀地へ新殿を造営して遷座したと伝わる。以後は岩川八幡神社、国府八幡とも称され、昭和期に國分八幡宮へ改称した。
明治初年には村社となり、明治40年(1907年)10月24日に新撰幣帛料供進神社へ指定された。昭和10年(1935年)10月5日には郷社へ昇格している。
境内には一の鳥居、二の鳥居、随神門、拝殿、本殿、磐座、神明鳥居などが建つ。本殿裏には磐座があり、白蛇大神はこの磐座に生息していた白蛇の御霊として祀られている。例祭は毎年10月8日・9日の秋季例大祭である。
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神社詳細
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出典
公式サイト
http://kokubuhatimangu.com/
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