廣矛神社 - 神社ファン

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廣矛神社

ひろほこじんじゃ

山口県宇部市大字奥万倉615番地

山口県宇部市大字奥万倉615番地

かんたんご利益

  • 恋愛
  • 仕事
  • 子供
廣矛神社には

「恋愛系」「仕事系」「子供系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

縁結び 五穀豊穣 商売繁盛 子授け

御祭神

大國主神 おおくにぬしのかみ
事代主命 ことしろぬしのみこと
武御名方命 たけみなかたのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

出雲・オオナムチ系

です。
他に 「えびす系」 「鹿島系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

山口県宇部市に鎮座する神社。御祭神は大國主神、事代主命、武御名方命の3柱をまつる。
社格は旧郷社。
廣矛神社は、もとは若一王子神社と称した。鎌倉時代の正応・永仁年間(1288年〜1298年)ごろ、同村の栢木に神霊が降りたと伝えられ、その地に社が建てられた。南北朝時代の建武年間(1334年〜1338年)には、厚東武実の臣である物部政家が社殿を修理したことが棟札に記される。日本歴史地名大系では、建武3年(1336年)に厚東武実の一族である物部政家が社殿を修築したとする。
文明年間(1469年〜1487年)には、村人が社の近くを葬場としたのち、宝殿が震動して扉が開き、御神体が失われたと伝えられる。御神体は同村椋並平野に安座していたとされ、村主の平氏武辰がその地に社を建てて奉斎した。日本歴史地名大系では、文明3年(1471年)に大内氏家臣の平氏、または杉武辰が同村平野へ移建したと記す。
永正年間(1504年〜1521年)には、金右衛門という人物に霊示があったと伝えられる。村人が従わなかったのち、神前を馬で通った者が落馬して負傷したという伝承が残る。その後、再び金右衛門に神託があり、定林寺住職が大般若経を転読し、村主の杉重良が宝殿を建立した。
江戸時代の元禄年間(1688年〜1704年)には、村主の国司広直が廣矛神社を再建した。栢木と椋並の旧社地は古王子と呼ばれた。明治4年(1871年)には、大己貴命ほか2柱を合祀し、社名を廣矛神社へ改めた。
社殿については、建武年間の修理、文明年間の移建、永正年間の宝殿建立、元禄年間の再建が伝わる。祭礼は2月3日の節分祭、5月4日の祈年祭春祭、10月1日の例祭、12月中旬の新嘗祭などが行われる。2月3日夜には、節分祭とあわせて千本宝籤神事が行われる。
  • 郷社
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出典
公式サイト
http://www.az91hp.server-shared.com/
山口県神社庁
http://www.yamaguchi-jinjacho.or.jp/