旭山神社 広島県 - 神社ファン

有名度

前頭

旭山神社

あさひやまじんじゃ

広島県広島市西区己斐西町12番10号

広島県広島市西区己斐西町12番10号

拝殿

Taisyo(wikipedia CC 表示 3.0)

旭山神社以外にも 鯉の神社 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
旭山神社には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神功皇后(息長帯日売命) じんぐうこうごう(おきながたらしひめ の みこと)
応神天皇(品陀和気命) おうじんてんのう(ほんだわけのみこと)
市杵島姫神 いちきしまひめのかみ
湍津姫神 たぎつひめのかみ
田心姫神 たごりひめのかみ

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

旭山神社は広島県広島市西区に鎮座する神社。御祭神は神功皇后(息長帯日売命)、応神天皇(品陀和気命)、市杵島姫神、湍津姫神、田心姫神の5柱をまつる。
旭山神社の創建年代は不明である。現在の広島市域の多くが海であった頃、神社の鎮座地は岬の先端に位置し、山の下まで波が打ち寄せていたと伝わる。
仲哀天皇2年(193年)、神功皇后が船で九州へ向かう途中、この地に立ち寄って岬に登り、休憩したという伝承が残る。その際、土地の県主が大きな鯉を献上し、神功皇后が「おお、こひ、こひ」と喜んだと伝えられる。この話から地域名が「こひ」と呼ばれるようになり、後に「己斐」の表記が用いられるようになったとされる。
弘治元年(1555年)10月1日、毛利元就は厳島で陶晴賢と戦うため宮島へ向かう途中、旭山神社に立ち寄って戦勝祈願を行った。翌朝、東の空から昇る朝日を見た元就が、社を「旭山八幡宮」と名付けたと伝えられている。
天正17年(1589年)、毛利輝元は広島城築城の候補地を確認するため、旭山神社に登ったとされる。当時、この一帯の海は「こいの浦」と呼ばれており、広島城はその「こいの浦」に築かれた城として、「鯉城」の別名でも知られる。
昭和20年(1945年)8月6日、広島への原子爆弾投下により、旭山神社も被爆した。爆心地から約2,800mの距離にあり、社殿は爆風によって倒壊したものの焼失は免れた。その後、昭和23年(1948年)に復元され、現在は広島市の被爆建物リストにも掲載されている。
本殿は流造で、境内には旭山稲荷神社が鎮座し、宇迦之御魂神を祀る。祭事では毎年10月第3土曜日と日曜日に秋季大祭が行われ、前夜祭では奉納神楽が奉奏される。大祭当日には各町内の俵みこしが地域を巡行する。毎月1日午前6時30分には月次祭も斎行されている。
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神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 流造

神紋

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出典
公式サイト
http://asahiyamajinja.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AD%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
広島県神社庁
https://www.hiroshima-jinjacho.jp/