隅田八幡神社 - 神社ファン

有名度

前頭

隅田八幡神社

すだはちまんじんじゃ

和歌山県橋本市隅田町垂井622番地

和歌山県橋本市隅田町垂井622番地

拝殿

Saigen Jiro(wikipedia CC0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
隅田八幡神社には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

主祭神

誉田別命 ほんだわけのみこと

主祭神

足仲彦尊 たらしなかつひこのみこと

主祭神

息長足姫命 おきながたらしひめのみこと

配祭神

丹生都比売命 にうつひめのみこと

配祭神

瀬織津比女命 せおりつひめのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
他に 「丹生系」 「不明(1柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

隅田八幡神社は和歌山県橋本市に鎮座する神社。御祭神は誉田別命、足仲彦尊、息長足姫命、丹生都比売命、瀬織津比女命の5柱をまつる。
社格は旧県社。
神功皇后が外征後、筑紫から紀伊の衣奈浦を経て大和へ戻る途中、この地に滞在した旧跡と伝えられている。欽明天皇の詔により、貞観年間(859年?877年)に八幡宮が勧請されたとされる。寛和2年(986年)、藤原兼家は山城国石清水八幡宮境内に三味堂を建立し、その料所として紀伊国伊都郡隅田村を寄進した。これにより石清水八幡宮の社領として隅田荘が成立した。その後、隅田八幡神社は石清水八幡宮の社領に属し、「隅田の別宮」と称された。長治2年(1105年)、隅田荘の豪族で隅田党の祖とされる長忠延が、隅田八幡神社の社務を担う俗別当職に就いた。続いて隅田荘の荘官である公文職にも任じられ、以後その子孫が両職を継承した。鎌倉時代以降、隅田八幡神社は隅田党の氏神となり、社頭には堂塔が整えられた。永禄3年(1560年)、松永久秀の攻略により社殿は焼失した。その後、慶長年間(1596年?1615年)に再建された。江戸時代には隅田荘16か村の産土神となり、紀州藩主徳川氏の崇敬を受けた。文政2年(1819年)に社殿は再び焼失し、文政5年(1822年)に再建された。明治時代の神仏分離により、神宮寺であった大高能寺は隅田八幡神社から分離した。昭和26年に宗教法人法が施行され、社名は隅田八幡神社となった。
本殿は流造である。境内には、隅田八幡神社が所有する国宝「人物画象鏡」の記念碑が建てられており、実物は東京国立博物館に寄託されている。人物画象鏡は5世紀から6世紀頃に製作された銅鏡で、48字の銘文を有する。
祭事として、1月15日に管祭が行われる。小竹管を用いて稲作の豊凶を占う粥占神事であり、橋本市の無形民俗文化財に指定されている。秋まつりは和歌山県無形民俗文化財に指定され、例祭日は10月15日である。御神輿渡御は現在、スポーツの日の前日の日曜日に行われ、大人約100人で担ぐ県下最大級の屋躰が参加する。
  • 県社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%85%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/