有名度
前頭上位手向山八幡宮
たむけやまはちまんぐう
奈良県奈良市雑司町434
奈良県奈良市雑司町434

Hiro2006(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
手向山八幡宮以外にも 東大寺八幡宮 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
手向山八幡宮には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
品陀別命 ほんだわけのみこと
比売大神 たらしなかつひこのみこと
仲哀天皇 ひめおおかみ
神功皇后 にんとくてんのう
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
手向山八幡宮は奈良県奈良市に鎮座する神社。御祭神は品陀別命、比売大神、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇の5柱をまつる。
社格は国史見在社であり、旧県社。
天平勝宝元年(749)、聖武天皇による東大寺盧舎那大仏の造立が進むなか、豊前国の宇佐八幡神が奈良へ迎えられた。『続日本紀』によると、同年12月18日に朝廷から官人らが遣わされて八幡神を迎え、12月27日に平城京へ入った。宮城南方の梨原宮には神殿が設けられ、聖武太上天皇、孝謙天皇、光明皇太后が行幸した。
天平勝宝2年(750)には、八幡大神に一品の神階と封戸800戸、位田80町、比売神に二品の神階と封戸600戸、位田60町が奉られた。八幡神は東大寺の鎮守神として祀られ、社殿は東大寺大仏殿中門前の南東、現在の鏡池付近にも置かれていた。
治承4年(1180)、平重衡による南都焼討で東大寺の大仏殿などとともに八幡宮も焼失した。その後、東大寺では重源を中心に復興が進められ、八幡神像も新たに造られた。
嘉禎3年(1237)には千手院岡へ移され、行勇の勧進によって八幡宮が再建された。建長2年(1250)には現在の手向山へ遷座したと伝えられ、東大寺法華堂(三月堂)の南側に境内が置かれた。
元和8年(1622)には細川忠興が米300石を寄進し、拝殿を修造するとともに大鳥居を寄進した。その後も社殿の整備が行われ、江戸時代に現在の境内を構成する社殿が建てられた。
明治初年の神仏分離によって東大寺から分離し、独立した神社となった。それまで神体として祀られていた僧形八幡神坐像は東大寺へ移され、現在は東大寺勧進所八幡殿に安置されている。
境内には各時代の建造物が残る。奈良時代の建築である宝庫と、鎌倉時代後期に建てられた一間社流造、檜皮葺の住吉神社本殿は国の重要文化財に指定されている。本殿、若宮本殿、楼門、南御廊、北御廊、神楽所の6棟は江戸時代の建築で、奈良県指定文化財である。
毎年2月3日には御田植が行われる。田主、牛童、早乙女らが登場し、鍬初め、牛使い、種蒔き、田植えなどの所作を行う農耕神事で、平成7年(1995)に奈良市指定無形民俗文化財となった。
10月5日の例大祭では転害会が行われる。手向山八幡宮で神事を行った後、東大寺転害門へ神幸する。同日には東大寺勧進所八幡殿で、国宝の僧形八幡神坐像が特別開扉される。
社格は国史見在社であり、旧県社。
天平勝宝元年(749)、聖武天皇による東大寺盧舎那大仏の造立が進むなか、豊前国の宇佐八幡神が奈良へ迎えられた。『続日本紀』によると、同年12月18日に朝廷から官人らが遣わされて八幡神を迎え、12月27日に平城京へ入った。宮城南方の梨原宮には神殿が設けられ、聖武太上天皇、孝謙天皇、光明皇太后が行幸した。
天平勝宝2年(750)には、八幡大神に一品の神階と封戸800戸、位田80町、比売神に二品の神階と封戸600戸、位田60町が奉られた。八幡神は東大寺の鎮守神として祀られ、社殿は東大寺大仏殿中門前の南東、現在の鏡池付近にも置かれていた。
治承4年(1180)、平重衡による南都焼討で東大寺の大仏殿などとともに八幡宮も焼失した。その後、東大寺では重源を中心に復興が進められ、八幡神像も新たに造られた。
嘉禎3年(1237)には千手院岡へ移され、行勇の勧進によって八幡宮が再建された。建長2年(1250)には現在の手向山へ遷座したと伝えられ、東大寺法華堂(三月堂)の南側に境内が置かれた。
元和8年(1622)には細川忠興が米300石を寄進し、拝殿を修造するとともに大鳥居を寄進した。その後も社殿の整備が行われ、江戸時代に現在の境内を構成する社殿が建てられた。
明治初年の神仏分離によって東大寺から分離し、独立した神社となった。それまで神体として祀られていた僧形八幡神坐像は東大寺へ移され、現在は東大寺勧進所八幡殿に安置されている。
境内には各時代の建造物が残る。奈良時代の建築である宝庫と、鎌倉時代後期に建てられた一間社流造、檜皮葺の住吉神社本殿は国の重要文化財に指定されている。本殿、若宮本殿、楼門、南御廊、北御廊、神楽所の6棟は江戸時代の建築で、奈良県指定文化財である。
毎年2月3日には御田植が行われる。田主、牛童、早乙女らが登場し、鍬初め、牛使い、種蒔き、田植えなどの所作を行う農耕神事で、平成7年(1995)に奈良市指定無形民俗文化財となった。
10月5日の例大祭では転害会が行われる。手向山八幡宮で神事を行った後、東大寺転害門へ神幸する。同日には東大寺勧進所八幡殿で、国宝の僧形八幡神坐像が特別開扉される。
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%90%91%E5%B1%B1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%90%91%E5%B1%B1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
