有名度
小結丹生川上神社上社
にうかわかみじんじゃかみしゃ
奈良県吉野郡川上村迫869-1
奈良県吉野郡川上村迫869-1

Saigen Jiro(wikipedia CC0)
奈良・川上村の山中腹に鎮座する丹生川上神社上社は、水と雨を司る神・高龗神を祀る神社です。深い山々に抱かれた境内からは、周囲の大自然やダム湖を望み、川の源流域に祈りを捧げる特別な立地を実感できます。清らかな水と静寂に満ちた空間で、水のはじまりを感じながら参拝できる神社です。
かんたんご利益
- 仕事
丹生川上神社上社には
「仕事系(有名)」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
水・雨を掌られる
御祭神
公
主祭神
高靇大神 たかおかみのおおかみ
相殿神
大山祇神 おおやまつみのかみ
相殿神
大雷神 おおいかづちのかみ
神社系統
主な系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
丹生川上神社上社は奈良県吉野郡川上村にある神社。高龗神を主祭神とする。
社格は式内社(名神大社)で二十二社(下八社)の論社。旧官幣大社で、現在は別表神社。
丹生川上神社を構成する三社のうち上社にあたり、もとは「高龗神社」と称した。高龗神は雨や水をつかさどる神で、現在は上社・中社・下社がそれぞれ独立した神社として祭祀を行っている。
丹生川上の地は古くから水に関わる神聖な場所とされてきた。『日本書紀』には、神武天皇が大和入りを目指した際、天香具山の土で平瓮や厳瓮を造らせ、丹生川上で天神地祇をまつったことが記されている。神武天皇の東征伝承においても重要な祭祀の地として登場する。
社伝によると、天武天皇4年(675)、人の声が聞こえない吉野の深山に宮柱を立てて神をまつれば、雨を降らせ、長雨を止めるとの神託があり、丹生川上神社が創祀されたという。古代には朝廷から水をつかさどる神として篤く崇敬され、天平宝字7年(763)には祈雨、宝亀6年(775)には止雨のため奉幣が行われた。後には雨乞いには黒馬、長雨を止める祈願には白馬を奉納することが慣例となった。
しかし中世以降に丹生川上神社の祭祀が衰退すると、やがて本来の鎮座地が分からなくなった。江戸時代には現在の下社にあたる丹生大明神を古代の丹生川上神社とする説が有力となり、朝廷からの崇敬も同社に向けられるようになった。
一方、現在の上社は高龗神をまつる小祠で、その詳しい由緒は明らかではなかった。明治時代に丹生川上神社の所在地をめぐる考証が進むと、高龗神社こそ古代の丹生川上神社に関係する神社であるとの説が唱えられた。これにより高龗神社は丹生川上神社の「奥の宮」、従来の丹生大明神は「口の宮」と位置づけられた。
明治29年(1896)には官幣大社丹生川上神社上社とされた。その後、大正時代に東吉野村の蟻通神社を古代の丹生川上神社とする新たな説が有力となり、大正11年(1922)に同社が中社として加えられた。これによって上社・中社・下社からなる官幣大社丹生川上神社の形が整えられた。戦後の神社制度の変更によって三社はそれぞれ独立し、当社は現在の丹生川上神社上社となった。
上社の歴史を考えるうえで重要なのが、大滝ダム建設に伴って行われた旧境内地の発掘調査である。旧境内地周辺からは「宮の平遺跡」と呼ばれる祭祀遺跡が発見され、この地で高龗神社の成立をはるかにさかのぼる時代から祭祀が営まれていたことが明らかになった。
発掘調査では、本殿基壇の下から数期にわたる神社関係の遺構が確認され、奈良時代後半から平安時代前期には祭祀の場として利用されていたと考えられている。さらに平安時代末期から鎌倉時代初頭には社殿が建立されていたことも確認され、この地における長い祭祀の歴史が明らかになった。
また宮の平遺跡からは縄文時代の祭祀に関係するとみられる遺物も出土している。縄文時代中期末から後期初め、約4000年前のものとみられる石棒が多数発見され、そのなかには直立した状態で残されていたものもあった。古代の神社祭祀が成立するはるか以前から、この地が人々にとって特別な場所であったことをうかがわせる遺跡となっている。
大滝ダムの建設によって旧境内地が水没することになったため、平成10年(1998)3月、丹生川上神社上社は旧境内地を見下ろす現在地へ遷座した。現在の本殿はこの遷座にあわせ、伊勢神宮から譲り受けた古材を用いて造営されたものである。
旧境内地に建っていた大正6年(1917)造営の社殿は、遷座に際して奈良県高市郡明日香村の飛鳥坐神社へ移築され、現在は同社の本殿として使用されている。ダム建設によって鎮座地そのものは大きく姿を変えたが、旧社殿も別の神社で受け継がれている。
丹生川上神社上社は、高龗神をまつる水の神社としての信仰に加え、宮の平遺跡によって明らかになった長い祭祀の歴史を持つ。縄文時代から古代・中世へと続く祭祀の痕跡と、ダム建設に伴う遷座という歴史を経て、現在も吉野川上流の水源地を守護する神社として信仰を伝えている。
社格は式内社(名神大社)で二十二社(下八社)の論社。旧官幣大社で、現在は別表神社。
丹生川上神社を構成する三社のうち上社にあたり、もとは「高龗神社」と称した。高龗神は雨や水をつかさどる神で、現在は上社・中社・下社がそれぞれ独立した神社として祭祀を行っている。
丹生川上の地は古くから水に関わる神聖な場所とされてきた。『日本書紀』には、神武天皇が大和入りを目指した際、天香具山の土で平瓮や厳瓮を造らせ、丹生川上で天神地祇をまつったことが記されている。神武天皇の東征伝承においても重要な祭祀の地として登場する。
社伝によると、天武天皇4年(675)、人の声が聞こえない吉野の深山に宮柱を立てて神をまつれば、雨を降らせ、長雨を止めるとの神託があり、丹生川上神社が創祀されたという。古代には朝廷から水をつかさどる神として篤く崇敬され、天平宝字7年(763)には祈雨、宝亀6年(775)には止雨のため奉幣が行われた。後には雨乞いには黒馬、長雨を止める祈願には白馬を奉納することが慣例となった。
しかし中世以降に丹生川上神社の祭祀が衰退すると、やがて本来の鎮座地が分からなくなった。江戸時代には現在の下社にあたる丹生大明神を古代の丹生川上神社とする説が有力となり、朝廷からの崇敬も同社に向けられるようになった。
一方、現在の上社は高龗神をまつる小祠で、その詳しい由緒は明らかではなかった。明治時代に丹生川上神社の所在地をめぐる考証が進むと、高龗神社こそ古代の丹生川上神社に関係する神社であるとの説が唱えられた。これにより高龗神社は丹生川上神社の「奥の宮」、従来の丹生大明神は「口の宮」と位置づけられた。
明治29年(1896)には官幣大社丹生川上神社上社とされた。その後、大正時代に東吉野村の蟻通神社を古代の丹生川上神社とする新たな説が有力となり、大正11年(1922)に同社が中社として加えられた。これによって上社・中社・下社からなる官幣大社丹生川上神社の形が整えられた。戦後の神社制度の変更によって三社はそれぞれ独立し、当社は現在の丹生川上神社上社となった。
上社の歴史を考えるうえで重要なのが、大滝ダム建設に伴って行われた旧境内地の発掘調査である。旧境内地周辺からは「宮の平遺跡」と呼ばれる祭祀遺跡が発見され、この地で高龗神社の成立をはるかにさかのぼる時代から祭祀が営まれていたことが明らかになった。
発掘調査では、本殿基壇の下から数期にわたる神社関係の遺構が確認され、奈良時代後半から平安時代前期には祭祀の場として利用されていたと考えられている。さらに平安時代末期から鎌倉時代初頭には社殿が建立されていたことも確認され、この地における長い祭祀の歴史が明らかになった。
また宮の平遺跡からは縄文時代の祭祀に関係するとみられる遺物も出土している。縄文時代中期末から後期初め、約4000年前のものとみられる石棒が多数発見され、そのなかには直立した状態で残されていたものもあった。古代の神社祭祀が成立するはるか以前から、この地が人々にとって特別な場所であったことをうかがわせる遺跡となっている。
大滝ダムの建設によって旧境内地が水没することになったため、平成10年(1998)3月、丹生川上神社上社は旧境内地を見下ろす現在地へ遷座した。現在の本殿はこの遷座にあわせ、伊勢神宮から譲り受けた古材を用いて造営されたものである。
旧境内地に建っていた大正6年(1917)造営の社殿は、遷座に際して奈良県高市郡明日香村の飛鳥坐神社へ移築され、現在は同社の本殿として使用されている。ダム建設によって鎮座地そのものは大きく姿を変えたが、旧社殿も別の神社で受け継がれている。
丹生川上神社上社は、高龗神をまつる水の神社としての信仰に加え、宮の平遺跡によって明らかになった長い祭祀の歴史を持つ。縄文時代から古代・中世へと続く祭祀の痕跡と、ダム建設に伴う遷座という歴史を経て、現在も吉野川上流の水源地を守護する神社として信仰を伝えている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
例祭
例祭 6月1日
文化財
太古踊り
奈良県 無形民俗文化財
文化財種別不明 平成13年3月30日指定
文化財種別不明 平成13年3月30日指定
建築
本殿 三間社流造銅板葺
神紋
情報募集
出典
公式サイト
https://niu-kamisya.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%9F%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%B8%8A%E7%A4%BE
奈良県
https://www.pref.nara.jp/1700.htm
奈良県神社庁
https://www.naraken-jinjacho.jp/
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年
https://niu-kamisya.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%9F%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%B8%8A%E7%A4%BE
奈良県
https://www.pref.nara.jp/1700.htm
奈良県神社庁
https://www.naraken-jinjacho.jp/
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年
