沙沙貴神社 - 神社ファン

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沙沙貴神社

ささきじんじゃ

滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1

😞 🙁 😐 🙂 😄

滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1

拝殿

Saigen Jiro(wikipedia CC0)

かんたんご利益

  • 健康
  • 子供
  • 安全
  • 家庭
沙沙貴神社には

「健康系」「子供系」「安全系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

公

子宝 安産 育児 絹の整糸 健康の良薬 旅の安全 交通安全 家庭円満

御祭神

少彦名神 すくなひこなのかみ
大毘古神 おおひこのかみ
仁徳天皇 おおさきのすめらみこと
宇多天皇 うだのすめらみこと
敦實親王 あつみのみこ

神社系統

この神社の主な系統は

「少彦名系」

です。
他に 「不明(4柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

沙沙貴神社は滋賀県近江八幡市に鎮座する神社。御祭神は少彦名神、大毘古神、仁徳天皇、宇多天皇、敦實親王の5柱をまつる。
式内社であり、旧県社。
創祀年代は明らかでない。社伝では、少彦名神が小さな舟に乗って海を渡り、ササキの郷へ来たと伝える。古代には当地を本拠とした沙沙貴山君が祖神の大毘古神を祀り、のちに仁徳天皇が祀られた。
延長5年(927)成立の『延喜式』神名帳には沙沙貴神社の名が記載されている。長暦元年(1037)には宇多源氏の源成頼が当地に住み、その孫の源経方が神主となったと伝えられる。経方の嫡男季定は武士となり、次男行定は神主として社務を継承した。
佐々木氏は宇多天皇の皇子敦實親王の系統に連なり、源成頼の孫である経方が佐々木姓を称したと伝えられる。平治元年(1159)の平治の乱では佐々木秀義が近江を離れ、治承4年(1180)の源頼朝挙兵には秀義の子である定綱らが加わった。定綱はのちに近江国惣追捕使となった。
文治2年(1186)7月28日には、源頼朝の自筆と伝わる「佐佐木大明神」の神号額が表参道の大鳥居に掲げられた。古額は現在も保存され、大鳥居にはその形式を写した額が掲げられている。
鎌倉時代以降には宇多天皇と敦實親王が祭神に加えられ、宇多源氏・佐佐木源氏・近江源氏の氏神として祭祀された。社伝では、元応元年(1319)7月に正2位、貞和5年(1349)に正1位を授けられたと伝える。中世には社領を有していたが、天正年間(1573~1592)に佐々木氏が観音寺城を失い、社領も廃された。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに関する社伝では、徳川家康が戦勝を祈願し、戦後に神主を召して社領を寄進したと伝える。その後、佐々木氏の流れをくむ丸亀藩主京極家からも寄進を受けた。
天保14年(1843)に火災が発生し、本殿などの主要社殿が焼失した。延享4年(1747)建立の楼門や東西回廊などは焼失を免れ、丸亀藩京極家の援助を受けて再建が進められた。弘化5年(1848)には現在の本殿や拝殿などが造営された。
本殿は弘化5年(1848)建立の五間社流造、向拝3間、銅板葺で、棟札には大工水原源四郎俊勇の名が残る。拝殿も同年に建立された。楼門は延享4年(1747)の建立で、三間一戸楼門、入母屋造、葭葺である。本殿、中門、透塀、権殿、拝殿、楼門、東回廊、西回廊の8棟は平成2年(1990)3月31日に滋賀県指定有形文化財に指定された。境内の石灯籠も滋賀県指定有形文化財である。
春には沙沙貴まつりが行われ、大松明が奉納される。4月、5月、10月には沙沙貴十二座の神事が執り行われる。10月第2日曜日には宇多天皇と敦實親王を奉斎する近江源氏祭が行われ、舞楽が奉納される。
  • 県社
  • 式内社(小)
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神社詳細

公式URL

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文化財

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建築

本殿 五間社流造銅板葺

神紋

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出典
公式サイト
http://www.sasakijinja.or.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%99%E6%B2%99%E8%B2%B4%E7%A5%9E%E7%A4%BE
滋賀県神社庁
http://www.shiga-jinjacho.jp/