石坐神社 - 神社ファン

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石坐神社

いわいじんじゃ

滋賀県大津市西の庄15-16

滋賀県大津市西の庄15-16

鳥居

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かんたんご利益

  • 仕事
  • 子供
  • 安全
  • 厄除
  • 家庭
石坐神社には

「仕事系」「子供系」「安全系」「厄除・開運系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

航海安全 漁業繁栄 安産 交通安全 災難除け 方位除け 夫婦円満

御祭神

東殿

東殿

西殿

天神地祇

西殿

淡海龍王神

西殿

石坐七福神

西殿

神社系統

この神社の主な系統は

ワタツミ系」 「不明(7柱)」 「白髭・猿田彦系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

石坐神社は滋賀県大津市に鎮座する神社。御祭神は海神豊玉比古神、彦坐王、天命開別尊(天智天皇)、弘文天皇、伊賀采女宅子媛命、天神地祇、淡海龍王神、石坐七福神、佐田彦神の9柱をまつる。
社格は式内社であり、旧村社。
伝承では、天智天皇の時代である662年から672年にかけて大旱魃が起こった際、御霊殿山山頂に怪火が立ち、御霊池から海津見神が現れて旱魃を救ったことを当社の起こりとする。続いて朱鳥元年(686年)に、山下の石坐野、あるいは石神と呼ばれた地へ遷されて社殿が営まれ、以後は八大龍王社とも称されたと伝えられている。
中世には湖岸の現在地へと移り、文永3年(1266年)に本殿が造営されたことが、元禄5年(1692年)の棟札写しによって知られる。近世における大きな転機として、慶長5年(1600年)の大津城攻略戦に際して社地が炎上し、本殿のみを残して焼失したとする伝えがある。その後、慶長6年(1601年)に膳所城主となった戸田一西が、荒廃した本殿の修理など再興に努めたとされる。
以後、雨乞いに霊験がある神社として歴代の膳所城主の崇敬を受け、膳所城下の主要な五社である「膳所五社」の一つとして藩の庇護を受けてきた。明治6年(1874年)10月には神仏分離にともない八大龍王宮の社号を廃して高木神社と改め、さらに明治15年(1883年)2月に石坐神社へと改称され、現在に至っている。
本殿は三間社流造で、滋賀県指定文化財とされており、文永3年(1266年)建立であることが棟札写しから判明するとされる。屋根は檜皮葺の形式を伝えている。
例祭は5月3日で、五社祭の名で受け継がれている。また、神像彫刻として木造天命開別命坐像、木造伊賀采女宅子媛坐像、木造弘文天皇坐像、木造彦坐王坐像があり、いずれも重要文化財に指定されている。
  • 村社
  • 式内社(小)
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神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 三間社流造

神紋

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出典
公式サイト
http://www.iwaijinzya.org/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9D%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE
滋賀県神社庁
http://www.shiga-jinjacho.jp/