徳王稲荷金刀比羅社 - 神社ファン

有名度

前頭

徳王稲荷金刀比羅社

とくおういなりことひらしゃ

愛知県岡崎市西中町二丁目1番

愛知県岡崎市西中町二丁目1番

鳥居

Evelyn-rose(wikipedia CC0)

徳王稲荷金刀比羅社以外にも 徳王神社 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 仕事
  • 安全
徳王稲荷金刀比羅社には

「仕事系」「安全系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

五穀豊穣 商売繁盛 漁業守護 航海守護

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

稲荷系」 「金毘羅系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

徳王稲荷金刀比羅社は愛知県岡崎市に鎮座する神社。御祭神は宇気比売神、大穴牟遅神、崇徳天皇、猿田彦神の4柱をまつる。
社格は旧村社。
当社は、もとは徳王稲荷社と金刀比羅社の2社から成る神社である。徳王稲荷社の起こりは、永正3年(1506年)に今川氏親の発願により、稲熊(現・岡崎市稲熊町)の郷石山へ稲荷大神を勧請したことに始まると伝えられている。一方で、永正3年(1507年)創建とする記述も残されている。近代に入ると、明治26年(1893年)1月3日に市内の両町へ移転し、この際に徳王稲荷社と改称したとされる。
金刀比羅社については、建保3年(1215年)頃に本間三郎重光の臣である伴隼人が北野天神の祠官として奉仕したことに始まると伝えられている。その後、永禄3年(1560年)頃には、両町の伴孫太郎が徳川家康に弓弦を献じたことから、この地が「弦指屋敷」と呼ばれるようになり、家康自身も弓の稽古のために訪れたという伝承が語られている。さらに、文化9年(1813年)10月には、伴氏の屋敷内に事比羅大神を祀ったことが、金刀比羅社の歴史における節目として伝えられている。
昭和20年(1945年)7月20日の岡崎空襲により、徳王稲荷社と金刀比羅社の社殿はいずれも焼失し、境内の藤棚も失われた。その後、昭和42年(1967年)に焼失した両社を金刀比羅社境内に合祀し、新たに社殿を建立したことで、現在の徳王稲荷金刀比羅社の姿となった。
当社の特色として広く知られているのが藤であり、境内の藤棚は「東海道一の長藤」と紹介される見どころとなっている。祭事としては、4月11日に徳王稲荷社春季大祭、10月10日に金刀比羅社秋季大祭が行われ、藤の見頃にあたる4月下旬から5月上旬には「藤まつり」も催されている。
  • 村社
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E7%8E%8B%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A4%BE%E9%87%91%E5%88%80%E6%AF%94%E7%BE%85%E7%A4%BE