久津八幡宮 - 神社ファン

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久津八幡宮

くづはちまんぐう

岐阜県下呂市萩原町上呂2345番地の1

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岐阜県下呂市萩原町上呂2345番地の1

鳥居と拝殿

立花左近(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 子供
  • 勝負
久津八幡宮には

「仕事系」「子供系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

想

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

公
応神天皇 おうじんてんのう

相殿

天照皇大神 あまてらすすめおおかみ

相殿

春日大神 かすがのおおかみ

神社系統

主な系統
その他系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

久津八幡宮は岐阜県下呂市に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、天照皇大神、春日大神の3柱をまつる。
社格は旧県社。
社伝によれば、飛騨国に両面宿儺がいたとされる時代、仁徳天皇は難波根子武振熊命を当地に遣わし、これを討伐・平定させたという。その際、武振熊命が父である応神天皇の御霊を祀り、武運長久と国土平安を祈ったことを当社の創祀の起こりとして伝えている。
また平治の乱にあたっては、飛騨へ募兵に入った源義平が戦勝を祈願し、関東の鶴岡八幡宮の神を勧請したとも伝わり、こうした伝承は中世にかけて広がった八幡信仰と結びつきながら、社勢を整えていった経緯をうかがわせる。
中世には大規模な造営が行われ、室町時代の応永19年(1412年)には白井太郎俊国によって本殿が再建され、さらに安土桃山時代の天正9年(1581年)には三木自綱が拝殿を建立したと伝えられる。その後も飛騨を領した金森氏や、江戸時代の幕府代官・郡代による修理・造営が重ねられ、地域の総鎮守として信仰が継承されてきた。
本殿および拝殿は国の重要文化財に指定されており、本殿は三間社流造、柿葺という特徴を備え、細部意匠にも中世社殿の技法が認められる。境内には夫婦杉と呼ばれる木があり、天然記念物として知られている。
例祭は毎年4月第3日曜日に斎行され、祭礼の変遷を伝える「久津八幡宮祭礼記録類」は県の重要有形民俗文化財に指定されている。元和7年(1621年)の願文には、疫病退散を祈って獅子頭を寄進し、獅子舞の奉納を誓ったことが記されており、長年にわたり続けられてきた祭礼と、地域の祈りの積み重なりを今に伝えている。
  • 二宮(飛騨国)
  • 県社
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神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 三間社流造

神紋

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出典
公式サイト
http://www.seiryu.ne.jp/~kuzu/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E6%B4%A5%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
岐阜県神社庁
https://www.gifu-jinjacho.jp/