有名度
前頭上位居多神社
こたじんじゃ
新潟県上越市五智6丁目1番11号
新潟県上越市五智6丁目1番11号

Saigen Jiro(wikipedia CC0)
かんたんご利益
- 恋愛
- 子供
居多神社には
「恋愛系(有名)」「子供系(有名)」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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ご利益
公
縁結び 子宝祈願
御祭神
大国主命 おおくにぬしのみこと
奴奈川姫 ぬながわひめ
建御名方命 たけみなかたのみこと
事代主命 ことしろぬしのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「気多系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
居多神社は新潟県上越市に鎮座する神社。御祭神は大国主命、奴奈川姫、建御名方命、事代主命の4柱をまつる。
社格は式内社であり、越後国一宮、旧県社。
創建年代は明らかでない。『頸城郡延喜式神社考』には神代の古跡とする伝承が記されている。古くは現在地から北西約1キロメートルに位置する身輪山に鎮座していた。
居多神社所蔵の文書に収められた『日本後紀』逸文では、弘仁4年(813)7月、居多神が無位から従五位下に進められた。貞観3年(861)8月3日には、『日本三代実録』に従五位上から従四位下へ昇叙されたことが記録されている。
延長5年(927)に成立した『延喜式神名帳』には、越後国頸城郡の式内社として居多神社の名が載る。承暦4年(1080)の『朝野群載』にも気多神の名で記録された。
承元元年(1207)、越後国府へ配流された親鸞が居多神社に参詣したと伝えられる。親鸞が祈願すると境内の葦が一夜で片側にだけ葉を付けるようになったという片葉の葦の伝承が残り、越後七不思議の一つに数えられている。
南北朝時代以降、居多神社は越後守護上杉家の崇敬を受けた。貞和3年(1347)の居多神社文書には一宮の記載があり、その後の居多神社文書や上杉家文書にも越後国一宮としての記録が残る。
観応2年(1351)、初代越後守護の上杉憲顕は土地の寄進状を発給した。15世紀には社領が頸城郡のほか、刈羽郡、古志郡、魚沼郡、蒲原郡にも置かれていた。越後守護代の長尾為景が内乱鎮圧後の社殿造営を誓った祈願文も伝来する。
文明18年(1486)、連歌師の尭恵が居多神社へ参詣し、『北国紀行』に和歌を残した。天正6年(1578)の御館の乱では、居多神社が上杉景虎方に加わり、社殿が焼失した。上杉景勝が会津へ移封された後、歴代領主によって社殿が再興された。
慶応2年(1866)、身輪山の旧社地が海岸侵食によって崩壊し、神霊は宮司宅へ遷された。明治12年(1879)に現在地へ社殿を造営して遷座したが、明治35年(1902)の火災で焼失した。明治40年(1907)に仮社殿が建てられ、平成20年(2008)6月に現在の本社殿が造営された。
社格は式内社であり、越後国一宮、旧県社。
創建年代は明らかでない。『頸城郡延喜式神社考』には神代の古跡とする伝承が記されている。古くは現在地から北西約1キロメートルに位置する身輪山に鎮座していた。
居多神社所蔵の文書に収められた『日本後紀』逸文では、弘仁4年(813)7月、居多神が無位から従五位下に進められた。貞観3年(861)8月3日には、『日本三代実録』に従五位上から従四位下へ昇叙されたことが記録されている。
延長5年(927)に成立した『延喜式神名帳』には、越後国頸城郡の式内社として居多神社の名が載る。承暦4年(1080)の『朝野群載』にも気多神の名で記録された。
承元元年(1207)、越後国府へ配流された親鸞が居多神社に参詣したと伝えられる。親鸞が祈願すると境内の葦が一夜で片側にだけ葉を付けるようになったという片葉の葦の伝承が残り、越後七不思議の一つに数えられている。
南北朝時代以降、居多神社は越後守護上杉家の崇敬を受けた。貞和3年(1347)の居多神社文書には一宮の記載があり、その後の居多神社文書や上杉家文書にも越後国一宮としての記録が残る。
観応2年(1351)、初代越後守護の上杉憲顕は土地の寄進状を発給した。15世紀には社領が頸城郡のほか、刈羽郡、古志郡、魚沼郡、蒲原郡にも置かれていた。越後守護代の長尾為景が内乱鎮圧後の社殿造営を誓った祈願文も伝来する。
文明18年(1486)、連歌師の尭恵が居多神社へ参詣し、『北国紀行』に和歌を残した。天正6年(1578)の御館の乱では、居多神社が上杉景虎方に加わり、社殿が焼失した。上杉景勝が会津へ移封された後、歴代領主によって社殿が再興された。
慶応2年(1866)、身輪山の旧社地が海岸侵食によって崩壊し、神霊は宮司宅へ遷された。明治12年(1879)に現在地へ社殿を造営して遷座したが、明治35年(1902)の火災で焼失した。明治40年(1907)に仮社殿が建てられ、平成20年(2008)6月に現在の本社殿が造営された。
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神社詳細
摂末社・境内社
例祭
例祭 5月3日
大祭 8月19日・20日
新嘗祭 11月23日
大祭 8月19日・20日
新嘗祭 11月23日
文化財
木造狛犬
上越市 有形文化財
彫刻 文化財指定日不明
彫刻 文化財指定日不明
居多神社文書
上越市 有形文化財
古文書 文化財指定日不明
古文書 文化財指定日不明
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE
上越市
https://www.city.joetsu.niigata.jp/site/cultural-property/
新潟県神社庁
https://niigata-jinjacho.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE
上越市
https://www.city.joetsu.niigata.jp/site/cultural-property/
新潟県神社庁
https://niigata-jinjacho.jp/
