有名度
小結上野東照宮
うえのとうしょうぐう
東京都台東区上野公園9-88
東京都台東区上野公園9-88



上野東照宮は、徳川家康公を祀る社として創建され、金箔に輝く社殿と豪華絢爛な唐門が江戸初期の姿を今に伝える上野の名所です。境内へ続く参道には石灯籠が整然と並び、春には牡丹苑が彩りを添えます。勝運・出世開運のご利益で親しまれ、歴史と美が調和する空間で心静かに手を合わせることができる神社です。
上野東照宮以外にも 上野権現様 とも呼ばれます。
神社ワードクラウド
上野東照宮の特徴を視覚的にわかりやすく表現しています。詳しくは見どころをご確認ください。
かんたんご利益
- 健康
- 仕事
- 勝負
上野東照宮には
「健康系」「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
出世 勝利 健康長寿
御祭神
徳川家康公 とくがわいえやすこう
徳川吉宗公 こくがわよしむねこう
徳川慶喜公 とくがわよしのぶこう
神社系統
この神社の主な系統は
「東照宮系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
上野東照宮は東京都台東区にある神社。徳川家康、徳川吉宗、徳川慶喜を祭神とする。
社格は旧府社。
正式名称は「東照宮」で、他の東照宮と区別するため鎮座地を冠して「上野東照宮」と呼ばれる。創建当初は徳川家康、天海僧正、藤堂高虎をまつっていたことから「三処権現」とも称された。
社伝によると、江戸幕府初代将軍・徳川家康の遺言を受けた天海僧正が、藤堂高虎の屋敷地であった上野の土地を拝領して東叡山寛永寺を開山し、その境内に家康をまつる宮祠が建立されたことに始まる。寛永4年(1627)の創建で、当初は「東照社」と称した。
正保3年(1646)、朝廷から東照大権現に宮号が宣下されたことにより、家康をまつる神社は「東照宮」と称するようになり、当社も東照宮と呼ばれるようになった。創建当初の祭神は東照神君(徳川家康)、天海僧正、藤堂高虎の3柱で、このことから三処権現の別名が生まれた。現在も御朱印に用いられる中央の印には、創建当初の3柱の名が刻まれている。
現在の社殿は3代将軍・徳川家光によって慶安4年(1651)に造営された。日光東照宮と同様に金箔や漆、極彩色の彫刻をふんだんに用いた豪華な造りで、特に社殿はその姿から「金色殿」と呼ばれている。
金色殿は本殿、幣殿、拝殿を一体化した権現造で、建物の内外には生彩色や置上彩色などの技法を用いた華麗な装飾が施されている。江戸初期の東照宮建築を現在に伝える貴重な建造物で、国の重要文化財に指定されている。
同じ慶安4年(1651)に造営された唐門と透塀も現存する。唐門には左甚五郎作と伝えられる「昇り龍」「降り龍」の彫刻があり、精緻な彫刻と金箔による装飾が特徴となっている。社殿を囲む透塀には、野山や水辺に生きる動植物を題材とした250枚以上の彫刻が施され、江戸時代初期の高度な装飾技術を伝えている。
造営に際しては諸大名から多数の灯籠が奉納され、その数は約250基に及んだとされる。なかでも48基の銅灯籠は国の重要文化財に指定されており、社殿や唐門、透塀とともに徳川将軍家と諸大名との関係を現在に伝えている。
上野東照宮の社殿は、幕末から近代にかけて上野を襲った度重なる災禍を免れてきた。慶応4年(1868)の上野戦争では周囲の寛永寺伽藍の多くが焼失したが、東照宮は焼失を免れた。大正12年(1923)の関東大震災でも倒壊せず、昭和20年(1945)の東京大空襲では社殿背後に焼夷弾が落ちたものの不発に終わった。このため、江戸時代初期に造営された主要建造物が現在まで残されている。
明治初年の神仏分離によって寛永寺と東照宮は分離され、境内地も縮小した。境内にあった五重塔は寛永寺へ譲渡されるなど大きな変化があったが、金色殿をはじめとする東照宮の主要建造物は残された。また祭神も改められ、現在は徳川家康、8代将軍・徳川吉宗、15代将軍・徳川慶喜の3柱をまつっている。
境内入口には寛永10年(1633)に酒井忠世が奉納した大石鳥居が立つ。江戸時代初期から残る石造建造物で、上野東照宮の歴史を伝える重要な存在となっている。また、明治7年(1874)に深川木場組合から奉納された神楽殿、長い年月を重ねた御神木の大楠、旧御水舎の上屋を移築した水舎門なども残されている。
江戸幕府初代将軍・徳川家康をまつるため寛永寺境内に創建された上野東照宮は、3代将軍・家光による慶安4年の大造営によって現在につながる姿が整えられた。上野戦争、関東大震災、東京大空襲など幾度もの災禍を免れた金色殿や唐門、透塀などがまとまって残り、江戸初期の華麗な神社建築と徳川将軍家の信仰を現在に伝えている。
社格は旧府社。
正式名称は「東照宮」で、他の東照宮と区別するため鎮座地を冠して「上野東照宮」と呼ばれる。創建当初は徳川家康、天海僧正、藤堂高虎をまつっていたことから「三処権現」とも称された。
社伝によると、江戸幕府初代将軍・徳川家康の遺言を受けた天海僧正が、藤堂高虎の屋敷地であった上野の土地を拝領して東叡山寛永寺を開山し、その境内に家康をまつる宮祠が建立されたことに始まる。寛永4年(1627)の創建で、当初は「東照社」と称した。
正保3年(1646)、朝廷から東照大権現に宮号が宣下されたことにより、家康をまつる神社は「東照宮」と称するようになり、当社も東照宮と呼ばれるようになった。創建当初の祭神は東照神君(徳川家康)、天海僧正、藤堂高虎の3柱で、このことから三処権現の別名が生まれた。現在も御朱印に用いられる中央の印には、創建当初の3柱の名が刻まれている。
現在の社殿は3代将軍・徳川家光によって慶安4年(1651)に造営された。日光東照宮と同様に金箔や漆、極彩色の彫刻をふんだんに用いた豪華な造りで、特に社殿はその姿から「金色殿」と呼ばれている。
金色殿は本殿、幣殿、拝殿を一体化した権現造で、建物の内外には生彩色や置上彩色などの技法を用いた華麗な装飾が施されている。江戸初期の東照宮建築を現在に伝える貴重な建造物で、国の重要文化財に指定されている。
同じ慶安4年(1651)に造営された唐門と透塀も現存する。唐門には左甚五郎作と伝えられる「昇り龍」「降り龍」の彫刻があり、精緻な彫刻と金箔による装飾が特徴となっている。社殿を囲む透塀には、野山や水辺に生きる動植物を題材とした250枚以上の彫刻が施され、江戸時代初期の高度な装飾技術を伝えている。
造営に際しては諸大名から多数の灯籠が奉納され、その数は約250基に及んだとされる。なかでも48基の銅灯籠は国の重要文化財に指定されており、社殿や唐門、透塀とともに徳川将軍家と諸大名との関係を現在に伝えている。
上野東照宮の社殿は、幕末から近代にかけて上野を襲った度重なる災禍を免れてきた。慶応4年(1868)の上野戦争では周囲の寛永寺伽藍の多くが焼失したが、東照宮は焼失を免れた。大正12年(1923)の関東大震災でも倒壊せず、昭和20年(1945)の東京大空襲では社殿背後に焼夷弾が落ちたものの不発に終わった。このため、江戸時代初期に造営された主要建造物が現在まで残されている。
明治初年の神仏分離によって寛永寺と東照宮は分離され、境内地も縮小した。境内にあった五重塔は寛永寺へ譲渡されるなど大きな変化があったが、金色殿をはじめとする東照宮の主要建造物は残された。また祭神も改められ、現在は徳川家康、8代将軍・徳川吉宗、15代将軍・徳川慶喜の3柱をまつっている。
境内入口には寛永10年(1633)に酒井忠世が奉納した大石鳥居が立つ。江戸時代初期から残る石造建造物で、上野東照宮の歴史を伝える重要な存在となっている。また、明治7年(1874)に深川木場組合から奉納された神楽殿、長い年月を重ねた御神木の大楠、旧御水舎の上屋を移築した水舎門なども残されている。
江戸幕府初代将軍・徳川家康をまつるため寛永寺境内に創建された上野東照宮は、3代将軍・家光による慶安4年の大造営によって現在につながる姿が整えられた。上野戦争、関東大震災、東京大空襲など幾度もの災禍を免れた金色殿や唐門、透塀などがまとまって残り、江戸初期の華麗な神社建築と徳川将軍家の信仰を現在に伝えている。
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見どころ
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石灯籠・銅灯籠・大石灯籠この記事を1人が評価
神社詳細
正式名称
東照宮
公式URL
摂末社・境内社
情報募集
例祭
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文化財
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建築
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神紋
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出典
公式サイト
https://www.uenotoshogu.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE
東京都神社庁
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/
https://www.uenotoshogu.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE
東京都神社庁
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/
