徳川吉宗
とくがわよしむね
- 歴史的人物
- 男神・男性

狩野忠信(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 征夷大将軍
江戸 [1684年~1751年]
徳川吉宗とは?
徳川吉宗(1684-1751)は江戸時代の人物。徳川光貞の子で、徳川家重らの親。妻は真宮理子女王ほか。徳川御三家の紀州藩(紀州徳川家)の2代藩主・徳川光貞の四男として生まれた。しかし当時は「父親が高齢だと子供が育ちにくい」という迷信があったため、捨て子という建前を取って紀州藩家老の加納政直に育てられた。幼年期は手に負えないほどの暴れん坊だったという。四男という立場だけを見れば家督を継ぐ可能性は低かったが、1705年に兄が相次いで死去、半年後には父の光貞までこの世を去ったため、吉宗は22歳にして紀州徳川家を相続している。さらには1716年に第7代将軍・徳川家康が8歳で早世したことで、世代的に家康と近しかった吉宗が江戸幕府の第8代将軍に就任することとなった。将軍としては、倹約の実行・実学の奨励・新田の開発・目安箱の設置などを実行。先例格式に捉われない政策の数々は「享保の改革」と称され、日本史に多大な影響を与えた政策として評価されている。 東京都の有形文化財としても知られる氷川神社は、将軍時代の吉宗の命によって現在地に遷されたもの。また吉宗自身は、東京都台東区にある上野東照宮の祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
米将軍こめしょうぐん
その他
八十八将軍こめしょうぐん
その他
