有名度
前頭古峰神社
こぶじんじゃ
山形県鶴岡市大山3-48-1
山形県鶴岡市大山3-48-1

かんたんご利益
- 仕事
- 安全
- 家庭
古峰神社には
「仕事系」「安全系」「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
火伏 五穀豊穣 家内安全 心願成就
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「古峯系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
古峰神社は山形県鶴岡市に鎮座する神社。御祭神は日本武尊、應神天皇、天照皇大神の3柱をまつる。
創始は天文年間(1532~1555)と伝えられる。大宝寺から大浦へ移った武藤氏が現在の大山公園一帯に大浦城を築き、城内の鎮守として八幡大神の御尊像を奉安した。武藤氏は代々、居城に八幡宮を建立していたとされる。
武藤氏の滅亡後、大浦城は廃城となった。幕府から本城を除く支城の破却が命じられると、八幡大神の御尊像は梅本院によって居宅の地へ遷され、奉祀が続けられた。
文化9年(1812)には大山で大火が発生したが、八幡大神の御尊像は焼失を免れた。
明治初期には大山村をはじめ庄内各地で火災が相次いだ。明治4年(1871)2月、下野国の古峯神社から火防の神を勧請し、八幡台に社殿を再建して古峰神社と称した。
昭和2年(1927)、不慮の事故によって社殿が被災した。翌昭和3年(1928)8月、講員や崇敬者によって社殿が復旧された。昭和29年(1954)には直会殿が建設された。
古峰神社が鎮座する金剛山は、太平山、鳥打山とともに大山公園を構成する。金剛山と太平山の間には大浦城の遺構である空堀が残り、大古橋が架けられている。昭和34年(1959)には神社の境外地を大山公園の敷地として無償貸与する契約が結ばれ、現在は鶴岡市が公園を管理している。
境内には大山祇神社がまつられ、社殿には天狗の面などが掲げられている。
祈年祭は4月3日に行われ、萬人講・本社代参講が催される。4月23日と25日には桜祭り参拝講社祭が行われ、通夜講が営まれる。例祭は8月20日に斎行される。
創始は天文年間(1532~1555)と伝えられる。大宝寺から大浦へ移った武藤氏が現在の大山公園一帯に大浦城を築き、城内の鎮守として八幡大神の御尊像を奉安した。武藤氏は代々、居城に八幡宮を建立していたとされる。
武藤氏の滅亡後、大浦城は廃城となった。幕府から本城を除く支城の破却が命じられると、八幡大神の御尊像は梅本院によって居宅の地へ遷され、奉祀が続けられた。
文化9年(1812)には大山で大火が発生したが、八幡大神の御尊像は焼失を免れた。
明治初期には大山村をはじめ庄内各地で火災が相次いだ。明治4年(1871)2月、下野国の古峯神社から火防の神を勧請し、八幡台に社殿を再建して古峰神社と称した。
昭和2年(1927)、不慮の事故によって社殿が被災した。翌昭和3年(1928)8月、講員や崇敬者によって社殿が復旧された。昭和29年(1954)には直会殿が建設された。
古峰神社が鎮座する金剛山は、太平山、鳥打山とともに大山公園を構成する。金剛山と太平山の間には大浦城の遺構である空堀が残り、大古橋が架けられている。昭和34年(1959)には神社の境外地を大山公園の敷地として無償貸与する契約が結ばれ、現在は鶴岡市が公園を管理している。
境内には大山祇神社がまつられ、社殿には天狗の面などが掲げられている。
祈年祭は4月3日に行われ、萬人講・本社代参講が催される。4月23日と25日には桜祭り参拝講社祭が行われ、通夜講が営まれる。例祭は8月20日に斎行される。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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出典
山形県神社庁
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/
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