有名度
前頭八幡神社
はちまんじんじゃ
秋田県由利本荘市松ヶ崎字宮の腰27
秋田県由利本荘市松ヶ崎字宮の腰27

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
八幡神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
応神天皇 おうじんてんのう
菅原道真 すがわらのみちざね
天照皇大神 あまてらすすめおおかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
八幡神社は秋田県由利本荘市に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、菅原道真、天照皇大神の3柱をまつる。
社格は旧郷社。
養和年間(1181~1182)、山城国男山の石清水八幡宮に仕えていた本宮貞継が八幡神の御神体を奉じ、陸奥国岩城平の城山へ勧請したと伝えられる。
文治2年(1186)には、源頼朝が奥州藤原氏をめぐる東征にあたり、千葉常胤が八幡神へ戦勝を祈願したとの伝承が残る。その後、源頼朝の命によって飯野山に社殿が再建され、飯野八幡と称された。源頼朝は社領88町を寄進したと伝えられている。
元和5年(1619)、岩城貞隆が大坂の陣の功によって信濃国高井郡川中島に1万石を与えられると、高井郡小菅山に八幡宮の分霊を勧請し、岩城家代々の氏神とした。
元和9年(1623)、岩城貞隆の子である岩城吉隆が出羽国由利郡へ国替えとなった。岩城氏は小菅山八幡の御神体を奉じて亀田へ入り、寛永元年(1624)に松ヶ崎の亀井山へ勧請した。
寛永13年(1636)には亀井山に社殿が建立されたと伝えられる。松ヶ崎への勧請に際して木田氏が祠官に任じられ、その後は松尾氏が神職を受け継いだ。
亀田藩政下では岩城氏から社領30石を与えられ、亀田藩の総社となった。八幡宮と天満宮が祀られ、総社宮には領内75社の分霊が祀られた。
貞享3年(1686)には、祠官の木田伝次郎貞通が『八幡社由緒』を記し、八幡神が陸奥国岩城平から信濃国高井郡を経て松ヶ崎へ勧請された経緯を伝えている。
明治6年(1873)に郷社に列し、明治31年(1898)には拝殿と幣殿が建築された。明治40年(1907)には神饌幣帛料供進神社に指定され、明治43年(1910)には白山比売神社と神明社が合祀された。神明社の合祀によって天照皇大神が御祭神に加わった。
昭和58年(1983)には秋田県神社庁から二級神社に指定された。
平成23年(2011)には、福島第一原子力発電所事故の影響により飯野八幡宮で行うことができなかった「御田植祭」が松ヶ崎八幡神社で行われた。両社は現在も交流を続けている。
本殿は江戸時代後期の建築で、木造平屋建、板葺である。拝殿・幣殿及び本殿覆屋は明治31年(1898)の建築で、木造平屋建、瓦葺である。これらは平成27年(2015)11月17日に国の登録有形文化財に登録された。
境内には笏谷石で造られた阿吽1対の石製狛犬が残る。福井県産の火山礫凝灰岩を用いた一石造りで、16世紀後半頃の製作とされ、秋田県指定有形文化財となっている。
江戸時代中期から後期に奉納された大絵馬16面も残されている。武術を題材とした絵馬で、由利本荘市指定有形文化財となっている。
境内は標高約25メートルの亀井山にあり、一ノ鳥居から石段を上り、二ノ鳥居を経て山頂の社殿へ至る。境内には鳥海山の大物忌神を祀る碑も建立されている。
例祭は7月に行われる。秋田県神社庁では例祭日を7月5日とし、由利本荘市では現在の例大祭を7月第1日曜日としている。例大祭では伊勢流大神楽に属する「松ヶ崎八幡神社神楽」が奉納され、神輿が巡幸する。
社格は旧郷社。
養和年間(1181~1182)、山城国男山の石清水八幡宮に仕えていた本宮貞継が八幡神の御神体を奉じ、陸奥国岩城平の城山へ勧請したと伝えられる。
文治2年(1186)には、源頼朝が奥州藤原氏をめぐる東征にあたり、千葉常胤が八幡神へ戦勝を祈願したとの伝承が残る。その後、源頼朝の命によって飯野山に社殿が再建され、飯野八幡と称された。源頼朝は社領88町を寄進したと伝えられている。
元和5年(1619)、岩城貞隆が大坂の陣の功によって信濃国高井郡川中島に1万石を与えられると、高井郡小菅山に八幡宮の分霊を勧請し、岩城家代々の氏神とした。
元和9年(1623)、岩城貞隆の子である岩城吉隆が出羽国由利郡へ国替えとなった。岩城氏は小菅山八幡の御神体を奉じて亀田へ入り、寛永元年(1624)に松ヶ崎の亀井山へ勧請した。
寛永13年(1636)には亀井山に社殿が建立されたと伝えられる。松ヶ崎への勧請に際して木田氏が祠官に任じられ、その後は松尾氏が神職を受け継いだ。
亀田藩政下では岩城氏から社領30石を与えられ、亀田藩の総社となった。八幡宮と天満宮が祀られ、総社宮には領内75社の分霊が祀られた。
貞享3年(1686)には、祠官の木田伝次郎貞通が『八幡社由緒』を記し、八幡神が陸奥国岩城平から信濃国高井郡を経て松ヶ崎へ勧請された経緯を伝えている。
明治6年(1873)に郷社に列し、明治31年(1898)には拝殿と幣殿が建築された。明治40年(1907)には神饌幣帛料供進神社に指定され、明治43年(1910)には白山比売神社と神明社が合祀された。神明社の合祀によって天照皇大神が御祭神に加わった。
昭和58年(1983)には秋田県神社庁から二級神社に指定された。
平成23年(2011)には、福島第一原子力発電所事故の影響により飯野八幡宮で行うことができなかった「御田植祭」が松ヶ崎八幡神社で行われた。両社は現在も交流を続けている。
本殿は江戸時代後期の建築で、木造平屋建、板葺である。拝殿・幣殿及び本殿覆屋は明治31年(1898)の建築で、木造平屋建、瓦葺である。これらは平成27年(2015)11月17日に国の登録有形文化財に登録された。
境内には笏谷石で造られた阿吽1対の石製狛犬が残る。福井県産の火山礫凝灰岩を用いた一石造りで、16世紀後半頃の製作とされ、秋田県指定有形文化財となっている。
江戸時代中期から後期に奉納された大絵馬16面も残されている。武術を題材とした絵馬で、由利本荘市指定有形文化財となっている。
境内は標高約25メートルの亀井山にあり、一ノ鳥居から石段を上り、二ノ鳥居を経て山頂の社殿へ至る。境内には鳥海山の大物忌神を祀る碑も建立されている。
例祭は7月に行われる。秋田県神社庁では例祭日を7月5日とし、由利本荘市では現在の例大祭を7月第1日曜日としている。例大祭では伊勢流大神楽に属する「松ヶ崎八幡神社神楽」が奉納され、神輿が巡幸する。
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出典
秋田県神社庁
https://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/
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