有名度
前頭秈荷神社
ぜんかじんじゃ
宮城県登米市東和町米谷字秈荷56
宮城県登米市東和町米谷字秈荷56

かんたんご利益
- 仕事
秈荷神社には
「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
五穀豊穣 商売繁盛
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「稲荷系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
秈荷神社は宮城県登米市に鎮座する神社。御祭神は倉稲魂命、経津主命、武甕槌命の3柱をまつる。
秈荷神社は永仁元年(1293)、葛西佐馬尉重直が建立したと伝えられる。亀卦川氏の系譜では、これに先立つ建治2年(1276)8月、亀卦川胤氏が葛西清信に従って奥州へ下向し、500余町の采地を与えられて米谷城を築いたとされる。亀卦川氏は天正18年(1590)の葛西氏没落まで米谷城主を務めた。
建武3年・延元元年(1336)、葛西氏は奥州勢を率いて上洛し、足利尊氏・足利直義の軍と戦った。この戦いで葛西清宗が神楽岡で戦死したと伝えられる。葛西氏の重臣であった亀卦川胤明は主君の冥福を祈って伏見稲荷神社へ参籠し、帰郷後、居館である米谷館に社殿を建てて稲荷大明神を祀った。稲荷大明神には銭金大明神、善賀大明神の別称も伝えられている。
正平15年(1360)には、永仁元年(1293)に葛西左馬尉重直が米谷村の鎮守として宮前の地に勧請したと伝わる鹿島神社が鹿島神宮寺となった。鹿島神宮寺には鎌倉時代に制作された5体の不動明王像が祀られていた。
天正年間(1573~1592)には、切支丹の蜂起によって秈荷神社の社殿が焼失したと伝えられる。この時期の古記録は残されておらず、焼失の詳しい経緯は明らかでない。
宝永2年(1705)、米谷の領主であった高泉長門守が秈荷神社の社殿を再建した。享保12年(1727)には高泉兼元が鹿島神社の社殿を修復した。宝暦5年(1755)には、米谷の大肝入を務め、左笠の俳名を持つ亀卦川軍左衛門が秈荷神社境内に松尾芭蕉の句碑を建立した。
明治初年の神仏分離に際し、鹿島神宮寺に祀られていた5体の不動明王像は東陽寺へ移された。明治8年(1875)には鹿島神社の社殿が秈荷神社境内へ移築された。明治39年(1906)、鹿島神社と諏訪神社が秈荷神社へ合祀され、諏訪神社の社掌であった髙橋譓之進が秈荷神社の社掌に専任された。
境内にはウミユリの化石を含む「銭金石」がある。石に現れた文様が銭の形に見えることから銭金石と呼ばれ、「秈荷」の地名にまつわる伝承も残されている。また、銭金大明神の名とともに、3年、5年と続けて参拝すると小金が貯まるとの信仰が伝えられている。
境内には秋葉神社、佐々木大明神、山の神、出羽三山石宮、三宝荒神社、鹿島神社などが祀られている。推定樹齢500~600年の山桜があり、宝暦5年(1755)建立の芭蕉句碑も残る。境内の井戸では地下111mの水脈から御神水を汲み上げ、「龍神水」として供している。
春季例大祭は5月1日、秋季例大祭は10月1日に斎行される。このほか、1月1日に歳旦祭、1月15日に暁詣りとどんと祭が行われる。
秈荷神社は永仁元年(1293)、葛西佐馬尉重直が建立したと伝えられる。亀卦川氏の系譜では、これに先立つ建治2年(1276)8月、亀卦川胤氏が葛西清信に従って奥州へ下向し、500余町の采地を与えられて米谷城を築いたとされる。亀卦川氏は天正18年(1590)の葛西氏没落まで米谷城主を務めた。
建武3年・延元元年(1336)、葛西氏は奥州勢を率いて上洛し、足利尊氏・足利直義の軍と戦った。この戦いで葛西清宗が神楽岡で戦死したと伝えられる。葛西氏の重臣であった亀卦川胤明は主君の冥福を祈って伏見稲荷神社へ参籠し、帰郷後、居館である米谷館に社殿を建てて稲荷大明神を祀った。稲荷大明神には銭金大明神、善賀大明神の別称も伝えられている。
正平15年(1360)には、永仁元年(1293)に葛西左馬尉重直が米谷村の鎮守として宮前の地に勧請したと伝わる鹿島神社が鹿島神宮寺となった。鹿島神宮寺には鎌倉時代に制作された5体の不動明王像が祀られていた。
天正年間(1573~1592)には、切支丹の蜂起によって秈荷神社の社殿が焼失したと伝えられる。この時期の古記録は残されておらず、焼失の詳しい経緯は明らかでない。
宝永2年(1705)、米谷の領主であった高泉長門守が秈荷神社の社殿を再建した。享保12年(1727)には高泉兼元が鹿島神社の社殿を修復した。宝暦5年(1755)には、米谷の大肝入を務め、左笠の俳名を持つ亀卦川軍左衛門が秈荷神社境内に松尾芭蕉の句碑を建立した。
明治初年の神仏分離に際し、鹿島神宮寺に祀られていた5体の不動明王像は東陽寺へ移された。明治8年(1875)には鹿島神社の社殿が秈荷神社境内へ移築された。明治39年(1906)、鹿島神社と諏訪神社が秈荷神社へ合祀され、諏訪神社の社掌であった髙橋譓之進が秈荷神社の社掌に専任された。
境内にはウミユリの化石を含む「銭金石」がある。石に現れた文様が銭の形に見えることから銭金石と呼ばれ、「秈荷」の地名にまつわる伝承も残されている。また、銭金大明神の名とともに、3年、5年と続けて参拝すると小金が貯まるとの信仰が伝えられている。
境内には秋葉神社、佐々木大明神、山の神、出羽三山石宮、三宝荒神社、鹿島神社などが祀られている。推定樹齢500~600年の山桜があり、宝暦5年(1755)建立の芭蕉句碑も残る。境内の井戸では地下111mの水脈から御神水を汲み上げ、「龍神水」として供している。
春季例大祭は5月1日、秋季例大祭は10月1日に斎行される。このほか、1月1日に歳旦祭、1月15日に暁詣りとどんと祭が行われる。
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神社詳細
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摂末社・境内社
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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
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