金ヶ崎神社 - 神社ファン

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金ヶ崎神社

かねがさきじんじゃ

岩手県胆沢郡金ケ崎町西根諏訪小路15

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岩手県胆沢郡金ケ崎町西根諏訪小路15

かんたんご利益

  • 仕事
  • 家庭
  • 勝負
金ヶ崎神社には

「仕事系」「家庭系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

五穀豊穣 家内安全 武運長久 国家鎮護 殖産興業 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

諏訪系」 「八幡系」 「不明(柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

金ヶ崎神社は岩手県胆沢郡金ケ崎町に鎮座する神社。御祭神は建御名方命、品牟陀別命、伊邪那岐命、伊邪那美命の4柱をまつる。
社格は旧村社。
金ヶ崎神社の創建は康平年間(1058~1065)にさかのぼる。前九年合戦に出陣した源頼義が信濃国の諏訪大神に戦勝を祈願し、勝利の後、その神恩に報いるため当地へ勧請したと伝えられる。鎮座地には頼義が陣を構えたとの伝承もあり、当初は諏訪神社と称した。
前九年合戦では、安倍頼時が流れ矢を受け、北上川を舟で下ったのち当地で没したとも伝えられる。旧暦7月27日は頼時の命日にあたるとされ、諏訪神社の祭日も同日に定められた。現在の例祭日は8月27日である。
江戸時代、金ケ崎要害は仙台藩領北端の要害として整備された。正保元年(1644)に大町定頼が金ケ崎へ移ると、以後、大町氏が当地を治め、諏訪神社にも社禄2石を与えて崇敬した。
境内には金崎山金竜寺が置かれ、修験道の羯摩院が別当を務めた。諏訪神社と金竜寺が同じ境内に置かれる神仏習合の形態をとり、羯摩院の本尊である不動明王は「お不動さん」と呼ばれた。
寛保元年(1741)には現在につながる本殿が造営された。また、境内には江戸の州崎弁天を勧請した小祠も設けられた。安永5年(1776)の『西根村風土記』には、武州深川の州崎弁天を諏訪神社境内へ勧請したことが記されているが、その年代は不明とされる。
天明5年(1785)、紀行家の菅江真澄が諏訪神社を訪れた。真澄は境内から望む北上川や北上山地の景観を「釜淵の夜雨」「片岡の夕照」「北上川の帰帆」「三箇尻の落雁」「三五岳の秋月」「八王子の晴嵐」「早池峰の暮雪」「国見山の晩鐘」の八景に見立て、『陸奥胆沢郡須輪神社法楽八景和歌』を詠んで奉納した。
明治初頭の神仏分離後、諏訪神社は村社となった。境内には招魂社が合祀され、戦没者を祀る忠魂碑や招魂碑も建立された。大正元年(1912)には八幡社、熊野社など数社を合祀し、金ヶ崎神社へ改称した。
令和3年(2021)には本殿の解体復元、幣殿の改築、拝殿の補修を行う御造営事業が始まり、同年8月28日に仮殿遷座祭が斎行された。
本殿は桁行3間、梁間2間の三間社流造である。拝殿は入母屋造の銅板葺で、正面に向拝を備え、木鼻には龍の彫刻が施されている。
『陸奥胆沢郡須輪神社法楽八景和歌』は昭和47年(1972)7月20日に金ケ崎町指定文化財となった。菅江真澄が詠んだ境内東方の景観は現在も「諏訪八景」として伝わり、通常の御朱印にも諏訪八景の印が押される。
例祭は8月27日に斎行される。また、毎年4月第3日曜日の金ケ崎火防祭では、神社で火防と疫病退散を祈願した後、神輿、稚児行列、囃子屋台などが街地区を巡行する。
  • 村社
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/