有名度
十両柏正八幡宮
かしわしょうはちまんぐう
青森県つがる市柏桑野木田八幡117
青森県つがる市柏桑野木田八幡117

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
柏正八幡宮には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
柏正八幡宮は青森県つがる市に鎮座する神社。御祭神は誉田別尊、少名彦名神、保食神の3柱をまつる。
社格は旧郷社。
天正4年(1576年)旧暦3月、津軽平定を進めていた津軽為信は、鰺ヶ沢方面の巡視から戻る途中、芦原の中に立つ大きな柏の木と、その傍らから上がる炊煙を見つけた。現地には工藤祐益、花巻頼母、山崎織部の3人が住み、粟や稗を栽培していた。3人から産土神を勧請して新田開発を進めたいとの願いを受けた為信は、この地を広須野と名付けたと伝えられている。
翌年、為信の命により、国家安泰、五穀豊穣、万民豊楽、武運長久、新田開発成就を祈願する広須八幡宮が建立された。為信は直筆の棟札を奉納し、工藤祐益の孫が祭祀を担ったと伝えられる。
江戸時代には広須新田と木造新田の開発が進み、広須八幡宮は両新田の総鎮守として歴代弘前藩主の祈願所となった。寛文8年(1668年)、弘前藩主の命により広須から現在地へ遷座し、その後、浄円寺の鎮守であった稲荷神社を合祀した。明治6年(1873年)には薬師宮を合祀して郷社へ列した。
明治42年(1909年)7月9日、津軽為信の棟札に記された「正八幡宮」の社号にちなみ、柏正八幡宮へ改称した。例祭は毎年7月15日に行われる。
社格は旧郷社。
天正4年(1576年)旧暦3月、津軽平定を進めていた津軽為信は、鰺ヶ沢方面の巡視から戻る途中、芦原の中に立つ大きな柏の木と、その傍らから上がる炊煙を見つけた。現地には工藤祐益、花巻頼母、山崎織部の3人が住み、粟や稗を栽培していた。3人から産土神を勧請して新田開発を進めたいとの願いを受けた為信は、この地を広須野と名付けたと伝えられている。
翌年、為信の命により、国家安泰、五穀豊穣、万民豊楽、武運長久、新田開発成就を祈願する広須八幡宮が建立された。為信は直筆の棟札を奉納し、工藤祐益の孫が祭祀を担ったと伝えられる。
江戸時代には広須新田と木造新田の開発が進み、広須八幡宮は両新田の総鎮守として歴代弘前藩主の祈願所となった。寛文8年(1668年)、弘前藩主の命により広須から現在地へ遷座し、その後、浄円寺の鎮守であった稲荷神社を合祀した。明治6年(1873年)には薬師宮を合祀して郷社へ列した。
明治42年(1909年)7月9日、津軽為信の棟札に記された「正八幡宮」の社号にちなみ、柏正八幡宮へ改称した。例祭は毎年7月15日に行われる。
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神社詳細
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/
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