高城八幡宮 青森県 - 神社ファン

有名度

十両

高城八幡宮

たかぎはちまんぐう

青森県つがる市森田町下相野野田38-1

😞 🙁 😐 🙂 😄

青森県つがる市森田町下相野野田38-1

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
高城八幡宮には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
他に 「不明(2柱)」 「稲荷系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

高城八幡宮は青森県つがる市に鎮座する神社。御祭神は誉田別尊、高皇産霊神、倉稲魂命、如意輪観世音菩薩の4柱をまつる。
社格は旧郷社。
寛文2年(1662年)、下相野村は板屋野木村の嘉右衛門によって開田され、その後、越前国から移住した盛作右衛門によって開発が進められた。寛文5年(1665年)には如意輪観音を勧請して下相野観音堂を創建したと伝えられる。また、延宝3年(1675年)に盛作右衛門が産土神をまつるため自宅の奥庭へ堂宇を建立したことを起源とする伝承も残る。元禄3年(1690年)7月には、五穀豊穣と家内安全を祈願する社として再建され、延享3年(1746年)には産土神と観音像が合祀された。
元文元年(1736年)の検地帳には宮本宇門が管理する観音堂が記され、安政2年(1855年)の神社書上帳には飛竜宮として記録されている。また、元禄3年(1690年)、寛政4年(1792年)、天保14年(1843年)の棟札を所蔵していたことが記されている。
明治初年の神仏分離では、八幡神と隣接していた高皇産霊神社を合祀した。境内が二重の堀に囲まれ、城郭のような景観であったことから高城八幡宮へ改称し、郷社へ列したと伝えられる。観音像は一時移された後、本殿へ戻され、御神体の左側に安置された。昭和32年(1957年)には旧観音堂跡へ竜頭観音の石像が建立された。下相野観音堂は津軽三十三観音霊場第11番札所として知られ、例祭は毎年8月15日に行われる。
  • 郷社
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/