有名度
前頭神威神社
かむいじんじゃ
北海道積丹郡積丹町大字来岸町10番地
北海道積丹郡積丹町大字来岸町10番地

かんたんご利益
- 仕事
- 子供
- 安全
神威神社には
「仕事系」「子供系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
航海安全 漁業繁栄 安産
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「ワタツミ系」
です。他に 「不明(1柱)」
「稲荷系」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
神威神社は北海道積丹郡積丹町に鎮座する神社。御祭神は大綿津見神、志那津彦神、志那津姫神、豊受姫神の4柱をまつる。
社格は旧郷社。
神威神社の起源は源義経にまつわる伝承に遡る。文治年間(1185年ごろ)、義経が蝦夷地へ落ち延びる際、神威岬沖合いの神威岩に航海安全を祈願し、大綿津見神・志那津彦神を奉斎したと伝わる。アイヌもこの岩を「カムイ(神)」と崇拝し、女人禁制の信仰が伴ったという伝説がある。
後に松前藩地頭・藤倉近兵衛が神岬村に社殿を創建し、「志屋古丹(しやこたん)明神」「於賀武意(おかむい)明神」として奉斎。寛文3年(1663年)には漁民が再建し、文化2年(1805年)には松前正神主・白鳥遠江守が祭主となる。慶応2年(1866年)、社殿を現在地の来岸村へ移して「神威明神」と称し、積丹郡の守護神として祀った。
明治3年(1870年)、本殿と拝殿を再建し、明治8年(1875年)に郷社に列する。明治44年(1911年)に余別・来岸・神岬・西河の各稲荷神社(豊受姫神を祭神)を合祀し、大正4年神饌幣帛料供進神社に指定。昭和6年(1931年)に本殿を青森県産檜で改築し、同年社名を正式に「神威神社」と改称した。昭和19年(1944年)には向拝・拝殿・神饌所を改築、昭和21年(1946年)宗教法人化。昭和63年(1988年)に鎮座120周年記念奉祝祭を行った。
豪華な神明造の社殿は、青森檜材を用いた総色彩漆塗、浮彫や毛彫、金具金箔施しの豪華な装飾が施されており、北海道では類を見ない優美な造形を誇る。例祭は7月17日である。
社格は旧郷社。
神威神社の起源は源義経にまつわる伝承に遡る。文治年間(1185年ごろ)、義経が蝦夷地へ落ち延びる際、神威岬沖合いの神威岩に航海安全を祈願し、大綿津見神・志那津彦神を奉斎したと伝わる。アイヌもこの岩を「カムイ(神)」と崇拝し、女人禁制の信仰が伴ったという伝説がある。
後に松前藩地頭・藤倉近兵衛が神岬村に社殿を創建し、「志屋古丹(しやこたん)明神」「於賀武意(おかむい)明神」として奉斎。寛文3年(1663年)には漁民が再建し、文化2年(1805年)には松前正神主・白鳥遠江守が祭主となる。慶応2年(1866年)、社殿を現在地の来岸村へ移して「神威明神」と称し、積丹郡の守護神として祀った。
明治3年(1870年)、本殿と拝殿を再建し、明治8年(1875年)に郷社に列する。明治44年(1911年)に余別・来岸・神岬・西河の各稲荷神社(豊受姫神を祭神)を合祀し、大正4年神饌幣帛料供進神社に指定。昭和6年(1931年)に本殿を青森県産檜で改築し、同年社名を正式に「神威神社」と改称した。昭和19年(1944年)には向拝・拝殿・神饌所を改築、昭和21年(1946年)宗教法人化。昭和63年(1988年)に鎮座120周年記念奉祝祭を行った。
豪華な神明造の社殿は、青森檜材を用いた総色彩漆塗、浮彫や毛彫、金具金箔施しの豪華な装飾が施されており、北海道では類を見ない優美な造形を誇る。例祭は7月17日である。
スポンサーリンク
神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
例祭 7月17日
文化財
情報募集
建築
本殿 神明造
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A8%81%E7%A5%9E%E7%A4%BE
北海道神社庁
https://hokkaidojinjacho.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A8%81%E7%A5%9E%E7%A4%BE
北海道神社庁
https://hokkaidojinjacho.jp/
