大穴持神社 鹿児島県 - 神社ファン

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大穴持神社

おおなむぢじんじゃ

鹿児島県霧島市国分広瀬3-1089

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鹿児島県霧島市国分広瀬3-1089

鳥居と拝殿

Saigen Jiro(wikipedia CC0)

大穴持神社以外にも オナンジサア とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 健康
  • 安全
大穴持神社には

「健康系」「安全系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

蝮除けの神 医療の神

御祭神

主祭神

大己貴命 おおなむちのみこと

相殿神

少彦名命 すくなひこなのみこと

相殿神

大歳神 おおとしのかみ

神社系統

この神社の主な系統は

出雲・オオナムチ系

です。
他に 「少彦名系」 「年神系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

大穴持神社は鹿児島県霧島市に鎮座する神社。御祭神は大己貴命、少彦名命、大歳神の3柱をまつる。
社格は式内社であり、旧県社。
創建年月は不詳である。『延喜式』神名帳に記載される「大隅国囎唹郡大穴持神社」に比定される式内社である。
『国分諸古記』には、大己貴命は奥州津軽山に鎮座していたが、西国の鎮守として勅命を受けて下向したと伝えられる。その道中では常陸国の橘氏、宮永氏四兄弟、岩元氏の一族など一行25人が神輿を守護し、日向国串島を経て福山へ至った。福山では渡船が得られなかったため敷根まで道を開き、この道は神割坂と伝えられる。その後、敷根から舟で大隅国福瀬の渡に着き、福島村に仮屋を設け、さらに現在の広瀬に本宮が造営されたと伝えられている。
『続日本紀』には、764年(天平宝字8年)に大隅国と薩摩国の境で噴火が起こり、3つの島が出現したことが記される。766年(天平神護2年)には大隅国神が新島を造ったこと、778年(宝亀9年)にはその神を大穴持神として官社に列したことが記録されている。
927年(延長5年)成立の『延喜式』神名帳には大隅国囎唹郡の式内小社として記載され、1276年(建治2年)の「石築地役配符写」には「大穴持新田五反」の記録が残る。近世には祭米が給され、天保14年(1843年)の『三国名勝図会』には境内の様子が描かれた。明治4年(1871年)5月には近代社格制度により県社に列している。
例祭は9月29日に執り行われる。旧暦3月13日には、まむし除祓祭が斎行され、本殿で祭典が営まれた後、神符とお砂が参拝者に授与される。
大己貴命が農道を歩いていた際、犢牛に追われて麻畑へ逃れ、そこにいた蝮に咬まれたという口伝が伝わる。この伝承から広瀬では犢牛、麻、蝮に関する禁忌が語り継がれ、まむし除けの信仰は広瀬集落の外からも多くの参拝者を集めている。
  • 県社
  • 式内社(小)
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神社詳細

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文化財

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A9%B4%E6%8C%81%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E9%9C%A7%E5%B3%B6%E5%B8%82)
鹿児島県神社庁
https://www.kagojinjacho.or.jp/