有名度
前頭雄嶽日枝神社
おたけひえじんじゃ
長崎県南松浦郡新上五島町荒川郷133番
長崎県南松浦郡新上五島町荒川郷133番

Goldend1979(wikipedia パブリック・ドメイン)
かんたんご利益
- 仕事
- 厄除
- 家庭
雄嶽日枝神社には
「仕事系」「厄除・開運系」「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
諸産業繁栄 家系繁栄 厄除け
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「日吉・山王系」
です。他に 「不明(2柱)」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
雄嶽日枝神社は長崎県南松浦郡新上五島町に鎮座する神社。御祭神は大己貴神、天鈿女命、三穂津姫命の3柱をまつる。
社格は旧村社。
雄嶽日枝神社は、荒川郷の山王山に鎮座する。山王山は標高439.2mの山で、古くは御嶽とも呼ばれた。神社は古くから山王宮と称された。
社伝によれば、延暦23年(804年)に第16次遣唐使船で唐へ渡った最澄が帰国後に雄嶽を訪れ、比叡山延暦寺の守護神である山王権現を祀ったと伝えられる。最澄は弘仁5年(814年)と弘仁9年(818年)に入唐成就の礼として太宰府の竈門山寺を参拝したとされ、その際に五島へも渡ったと伝承されている。
山王権現の勧請後、山頂に三ノ宮、8合目付近に二ノ宮、2合目付近に一ノ宮が祀られた。山頂の上社山王宮と南麓の下社を中心に信仰が営まれ、一ノ宮には古い鳥居と岩陰の石祠が残されている。二ノ宮には岩窟があり、かつて水が湛えられていたと伝えられる。この岩窟からは報賽鏡が発見された。
明治4年(1871年)、社号を雄嶽日枝神社と改めた。近代社格制度では村社に列し、荒川郷の鎮守として崇敬を集めた。
雄嶽日枝神社には、平安時代後期から江戸時代初期にかけて奉納された船載鏡や和鏡が伝わる。これらは「雄嶽日枝神社の報賽鏡」として有形民俗文化財に登録されている。
例祭は旧9月9日に行われる。2024年10月20日には山王山山頂の本殿建て替え工事が完了し、日吉大社の宮司や地元の宮司、天台宗九州西教区の僧侶が参列して神仏習合形式による竣工式が執り行われた。
社格は旧村社。
雄嶽日枝神社は、荒川郷の山王山に鎮座する。山王山は標高439.2mの山で、古くは御嶽とも呼ばれた。神社は古くから山王宮と称された。
社伝によれば、延暦23年(804年)に第16次遣唐使船で唐へ渡った最澄が帰国後に雄嶽を訪れ、比叡山延暦寺の守護神である山王権現を祀ったと伝えられる。最澄は弘仁5年(814年)と弘仁9年(818年)に入唐成就の礼として太宰府の竈門山寺を参拝したとされ、その際に五島へも渡ったと伝承されている。
山王権現の勧請後、山頂に三ノ宮、8合目付近に二ノ宮、2合目付近に一ノ宮が祀られた。山頂の上社山王宮と南麓の下社を中心に信仰が営まれ、一ノ宮には古い鳥居と岩陰の石祠が残されている。二ノ宮には岩窟があり、かつて水が湛えられていたと伝えられる。この岩窟からは報賽鏡が発見された。
明治4年(1871年)、社号を雄嶽日枝神社と改めた。近代社格制度では村社に列し、荒川郷の鎮守として崇敬を集めた。
雄嶽日枝神社には、平安時代後期から江戸時代初期にかけて奉納された船載鏡や和鏡が伝わる。これらは「雄嶽日枝神社の報賽鏡」として有形民俗文化財に登録されている。
例祭は旧9月9日に行われる。2024年10月20日には山王山山頂の本殿建て替え工事が完了し、日吉大社の宮司や地元の宮司、天台宗九州西教区の僧侶が参列して神仏習合形式による竣工式が執り行われた。
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E5%B6%BD%E6%97%A5%E6%9E%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E5%B6%BD%E6%97%A5%E6%9E%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE
