和布刈神社 - 神社ファン

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和布刈神社

めかりじんじゃ

福岡県北九州市門司区大字門司3492

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福岡県北九州市門司区大字門司3492

拝殿

そらみみ(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 厄除
和布刈神社には

「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

公

禊の神 導きの神

御祭神

撞賢木厳之御魂天疎向津媛命 つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ
日子穂々出見命 ひこほほでみのみこと
鵜葺草葺不合命 うがやふきあえずのみこと
豊玉比賣命 とよたまひめのみこと
安曇磯良神 あづみのいそらのかみ

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(5柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

和布刈神社は福岡県北九州市門司区に鎮座する神社。御祭神は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命、日子穂々出見命、鵜葺草葺不合命、豊玉比賣命、安曇磯良神の5柱をまつる。
社格は旧県社。
和布刈神社は仲哀天皇9年の創建と伝えられる。社伝では、神功皇后が三韓から凱旋した際に創建し、自ら神主となって祭祀を行ったとされる。また、神功皇后が早鞆の瀬戸のワカメを神前に供えたとの伝承が残る。
奈良時代には和布刈神事が行われていたと伝えられ、神職が海から刈り取ったワカメは朝廷や領主へ献上された。和布刈神社に伝来する古文書には、神社から贈られたワカメに対する毛利元就・毛利隆元の礼状も残されている。
中世には武家による社殿の造営や神領の寄進が行われた。建武3年(1336)には足利尊氏による神殿造営が伝えられ、室町時代には大内氏から神領の寄進を受けた。和布刈神社に伝来する文書には、大内義弘の奉行人が発給した連署書状が残る。天正3年(1575)には、仁保常陸介を願主とする社殿修造の棟札写が伝わっている。
江戸時代に入ると、元和6年(1620)に小倉藩主・細川忠興から神領が寄進され、寛永5年(1628)には細川氏によって拝殿など数棟が造営された。小倉藩主が小笠原氏に代わった後も造営が続き、明和4年(1767)には小笠原氏によって社殿が再建された。
和布刈神社には中世から近世にかけての古文書が伝来しており、「大内義弘奉行人連署書状」「毛利元就書状」「毛利隆元書状」など9通と近世文書1通が「和布刈神社文書」として昭和60年(1985)2月1日に北九州市指定有形文化財となった。
境内は関門海峡の早鞆の瀬戸に面し、社殿前から石段を下りた海辺では、毎年旧暦元日の未明に和布刈神事が執り行われる。3人の神職が松明、手桶、鎌を携えて海へ入り、岩に生えたワカメを刈り取って神前に供える神事である。かつては秘儀として一般の拝観は許されていなかったが、戦後に公開された。ワカメを刈り取る行事は「和布刈行事」の名称で昭和51年(1976)4月24日に福岡県指定無形民俗文化財となっている。
  • 県社
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神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

境内社 早鞆稲荷社
祭神不明
境内社 恵比須社
祭神不明

例祭

例祭(和布刈神事) 旧暦1月1日

文化財

和布刈行事
福岡県 無形民俗文化財
文化財種別不明 昭和33年4月3日指定
和布刈神社文書 9通 附 近世文書 1通
北九州市 有形文化財
古文書 昭和60年2月1日指定

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
公式サイト
https://www.mekarijinja.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%B8%83%E5%88%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE
福岡県
https://www.fukuoka-bunkazai.jp/
北九州市
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/kanko/menu02_0033.html