有名度
関脇宗像大社 中津宮
むなかたたいしゃ なかつぐう
福岡県宗像市大島1811
福岡県宗像市大島1811



中津宮は、宗像三女神の一柱・湍津姫神をお祀りし、玄界灘を望む大島に鎮座する宗像大社の一社です。古来より航海や旅の安全を守る神として信仰され、多くの人々が海上の無事を願って参拝します。境内には清らかな水をたたえる「真名井の泉」があり、神聖な水を求めて訪れる人も絶えません。また、七夕伝説発祥の地とも伝わり、縁結びの祈りが今も息づいています。海と神が寄り添う、静謐で美しい神社です。
宗像大社 中津宮以外にも 宗像大社 とも呼ばれます。
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宗像大社 中津宮の特徴を視覚的にわかりやすく表現しています。詳しくは見どころをご確認ください。
かんたんご利益
- 恋愛
- 安全
宗像大社 中津宮には
「恋愛系(有名)」「安全系(有名)」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
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ご利益
海上・交通安全 陸上・交通安全 恋愛成就
御祭神
湍津姫神 たぎつひめのかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「宗像・厳島系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
宗像大社(中津宮)は福岡県宗像市の大島にある神社。中津宮の祭神は湍津姫神。九州本土の辺津宮に市杵島姫神、沖ノ島の沖津宮に田心姫神をまつり、3柱をあわせて「宗像三女神」と呼ぶ。
社格は式内社(名神大社)で八神郡のひとつ。別表神社、旧官幣大社。ユネスコの世界遺産『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』の構成資産でもある。
宗像大社は沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮からなり、宗像三女神をまつる全国の宗像神社や厳島神社などの総本社である。中津宮は玄界灘に浮かぶ大島に鎮座し、九州本土の辺津宮と沖ノ島の沖津宮との中間に位置する。古代から大陸へ向かう海上交通の要衝として、航海の安全を守護する重要な祭祀の場となってきた。
『古事記』『日本書紀』によると、宗像三女神は天照大神と素盞嗚尊の誓約によって生まれた女神である。天照大神の神勅を受け、海上交通の要地に降臨して歴代天皇を助けるよう命じられたと伝えられている。中津宮の湍津姫神もその一柱として、大島を中心にまつられてきた。
宗像大社の創建年代は明らかではないが、宗像地域は古代から朝鮮半島や中国大陸へ向かう海上交通の重要拠点であった。九州本土から大島、沖ノ島へと島々が連なり、その先に朝鮮半島が位置することから、宗像三女神は大陸へ向かう航路を守護する神として篤く信仰された。神功皇后も三韓への出兵に際して宗像三女神に航海の安全を祈願したと伝えられている。
古代の大和朝廷は宗像の神々を重視し、当地の有力豪族であった宗像氏が代々祭祀を担った。宗像氏は朝廷との結びつきを持ちながら海上交通や対外交流に関わり、宗像三女神への祭祀を受け継いだ。平安時代の『延喜式』神名帳では名神大社に列し、国家から重視される神社となった。
中津宮の信仰が古代までさかのぼることを示す重要な場所が、大島最高峰の御嶽山である。山頂付近では7世紀後半から9世紀末にかけて祭祀が行われたことが確認され、土器や滑石製の形代などの祭祀遺物が出土している。沖ノ島で行われていた露天祭祀と共通する遺物も見つかっており、大島と沖ノ島が一連の海上祭祀の場として機能していたことを伝えている。
現在、御嶽山の山頂には中津宮の奥宮にあたる御嶽神社が鎮座し、その背後に古代祭祀遺跡が残されている。御嶽山は湍津姫神の降臨地とも伝えられ、古代の祭祀と現在の信仰が同じ場所で受け継がれている。祭祀遺跡からは勾玉や鉄刀なども出土し、中津宮の信仰の古さを示す重要な遺跡となっている。
中世になると宗像氏は神職として祭祀を担う一方、武士としての性格を強め、宗像地方に大きな勢力を築いた。戦国時代には北部九州をめぐる大名の争いに巻き込まれ、宗像大社も戦乱の影響を受けた。
現在の中津宮本殿は宗像氏最後の大宮司となった宗像氏貞による建立と伝えられている。建築年代については伝承や調査による見解に違いがあるものの、歴史的価値の高い社殿として福岡県の有形文化財に指定されている。拝殿は昭和3年(1928)に建てられたもので、本殿とともに大島における宗像信仰の中心となっている。
中津宮には古くから七夕信仰が伝えられている。境内には「天の川」と呼ばれる小川が流れ、その両岸に牽牛神社と織女神社が鎮座する。牽牛と織女を川の両側にまつるという、七夕伝説をそのまま表したような信仰空間が形成されている。
旧暦7月7日には七夕祭が営まれ、牽牛と織女に祈りが捧げられる。中津宮の七夕信仰は古くから大島に伝えられてきたもので、宗像三女神への海上信仰とは異なる中津宮独自の特色のひとつとなっている。
大島には中津宮のほか、「沖津宮遙拝所」が設けられている。沖津宮が鎮座する沖ノ島は神聖な島として一般の立ち入りが認められていないため、沖津宮を直接参拝できない人々が大島から沖ノ島を遥拝するための場所である。現在の遥拝所は昭和8年(1933)に再建されたもので、天候に恵まれれば海の彼方に沖ノ島を望むことができる。
平成29年(2017)には、中津宮や御嶽山祭祀遺跡、沖津宮遙拝所を含む『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』がユネスコの世界遺産に登録された。大島には古代の祭祀遺跡から現在の中津宮、沖ノ島を拝む遙拝所まで、宗像三女神への信仰が長い年月をかけて受け継がれてきたことを示す場所が残されている。
九州本土と沖ノ島の中間に位置する大島は、古代の海上交通において重要な役割を果たした島であった。御嶽山で営まれた古代祭祀、湍津姫神をまつる中津宮、沖ノ島を望む沖津宮遙拝所、そして天の川を挟んだ七夕信仰と、島の各所には宗像信仰の長い歴史が現在まで受け継がれている。
社格は式内社(名神大社)で八神郡のひとつ。別表神社、旧官幣大社。ユネスコの世界遺産『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』の構成資産でもある。
宗像大社は沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮からなり、宗像三女神をまつる全国の宗像神社や厳島神社などの総本社である。中津宮は玄界灘に浮かぶ大島に鎮座し、九州本土の辺津宮と沖ノ島の沖津宮との中間に位置する。古代から大陸へ向かう海上交通の要衝として、航海の安全を守護する重要な祭祀の場となってきた。
『古事記』『日本書紀』によると、宗像三女神は天照大神と素盞嗚尊の誓約によって生まれた女神である。天照大神の神勅を受け、海上交通の要地に降臨して歴代天皇を助けるよう命じられたと伝えられている。中津宮の湍津姫神もその一柱として、大島を中心にまつられてきた。
宗像大社の創建年代は明らかではないが、宗像地域は古代から朝鮮半島や中国大陸へ向かう海上交通の重要拠点であった。九州本土から大島、沖ノ島へと島々が連なり、その先に朝鮮半島が位置することから、宗像三女神は大陸へ向かう航路を守護する神として篤く信仰された。神功皇后も三韓への出兵に際して宗像三女神に航海の安全を祈願したと伝えられている。
古代の大和朝廷は宗像の神々を重視し、当地の有力豪族であった宗像氏が代々祭祀を担った。宗像氏は朝廷との結びつきを持ちながら海上交通や対外交流に関わり、宗像三女神への祭祀を受け継いだ。平安時代の『延喜式』神名帳では名神大社に列し、国家から重視される神社となった。
中津宮の信仰が古代までさかのぼることを示す重要な場所が、大島最高峰の御嶽山である。山頂付近では7世紀後半から9世紀末にかけて祭祀が行われたことが確認され、土器や滑石製の形代などの祭祀遺物が出土している。沖ノ島で行われていた露天祭祀と共通する遺物も見つかっており、大島と沖ノ島が一連の海上祭祀の場として機能していたことを伝えている。
現在、御嶽山の山頂には中津宮の奥宮にあたる御嶽神社が鎮座し、その背後に古代祭祀遺跡が残されている。御嶽山は湍津姫神の降臨地とも伝えられ、古代の祭祀と現在の信仰が同じ場所で受け継がれている。祭祀遺跡からは勾玉や鉄刀なども出土し、中津宮の信仰の古さを示す重要な遺跡となっている。
中世になると宗像氏は神職として祭祀を担う一方、武士としての性格を強め、宗像地方に大きな勢力を築いた。戦国時代には北部九州をめぐる大名の争いに巻き込まれ、宗像大社も戦乱の影響を受けた。
現在の中津宮本殿は宗像氏最後の大宮司となった宗像氏貞による建立と伝えられている。建築年代については伝承や調査による見解に違いがあるものの、歴史的価値の高い社殿として福岡県の有形文化財に指定されている。拝殿は昭和3年(1928)に建てられたもので、本殿とともに大島における宗像信仰の中心となっている。
中津宮には古くから七夕信仰が伝えられている。境内には「天の川」と呼ばれる小川が流れ、その両岸に牽牛神社と織女神社が鎮座する。牽牛と織女を川の両側にまつるという、七夕伝説をそのまま表したような信仰空間が形成されている。
旧暦7月7日には七夕祭が営まれ、牽牛と織女に祈りが捧げられる。中津宮の七夕信仰は古くから大島に伝えられてきたもので、宗像三女神への海上信仰とは異なる中津宮独自の特色のひとつとなっている。
大島には中津宮のほか、「沖津宮遙拝所」が設けられている。沖津宮が鎮座する沖ノ島は神聖な島として一般の立ち入りが認められていないため、沖津宮を直接参拝できない人々が大島から沖ノ島を遥拝するための場所である。現在の遥拝所は昭和8年(1933)に再建されたもので、天候に恵まれれば海の彼方に沖ノ島を望むことができる。
平成29年(2017)には、中津宮や御嶽山祭祀遺跡、沖津宮遙拝所を含む『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』がユネスコの世界遺産に登録された。大島には古代の祭祀遺跡から現在の中津宮、沖ノ島を拝む遙拝所まで、宗像三女神への信仰が長い年月をかけて受け継がれてきたことを示す場所が残されている。
九州本土と沖ノ島の中間に位置する大島は、古代の海上交通において重要な役割を果たした島であった。御嶽山で営まれた古代祭祀、湍津姫神をまつる中津宮、沖ノ島を望む沖津宮遙拝所、そして天の川を挟んだ七夕信仰と、島の各所には宗像信仰の長い歴史が現在まで受け継がれている。
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見どころ
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境内社 織女神社・牽牛神社この記事を1人が評価
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
例祭
歳旦祭地主祭・歳旦祭 1月1日
成人祭 1月2日
元始祭 1月3日
節分祭 2月3日
如月祭 御嶽神社 2月6日
紀元祭 2月11日
祈年祭 2月17日
天長祭 2月23日
春季皇霊殿遙拝式 春分の日
沖津宮・中津宮両宮春季大祭(大島 沖津宮遙拝所・中津宮) 旧暦3月15日
昭和祭 4月29日
龍宮祭(境内末社) 5月3日
節句祭 5月5日
大祓式 6月30日
祇園祭(境内末社) 7月15日
七夕祭(大島 中津宮) 8月7日
沖津宮神璽奉遷祭 9月10日頃
秋季皇霊殿遙拝式 秋分の日出御祭 みあれ祭
沖津宮・中津宮両宮秋季大祭(大島 沖津宮遙拝所・中津宮) 旧暦9月15日
明治祭 11月3日
七五三祭 11月15日
新嘗祭 11月23日
二夜三日祭 12月3日
大祓式・除夜祭 12月31日
成人祭 1月2日
元始祭 1月3日
節分祭 2月3日
如月祭 御嶽神社 2月6日
紀元祭 2月11日
祈年祭 2月17日
天長祭 2月23日
春季皇霊殿遙拝式 春分の日
沖津宮・中津宮両宮春季大祭(大島 沖津宮遙拝所・中津宮) 旧暦3月15日
昭和祭 4月29日
龍宮祭(境内末社) 5月3日
節句祭 5月5日
大祓式 6月30日
祇園祭(境内末社) 7月15日
七夕祭(大島 中津宮) 8月7日
沖津宮神璽奉遷祭 9月10日頃
秋季皇霊殿遙拝式 秋分の日出御祭 みあれ祭
沖津宮・中津宮両宮秋季大祭(大島 沖津宮遙拝所・中津宮) 旧暦9月15日
明治祭 11月3日
七五三祭 11月15日
新嘗祭 11月23日
二夜三日祭 12月3日
大祓式・除夜祭 12月31日
文化財
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
ユネスコ 世界遺産
文化遺産 平成29年記載
文化遺産 平成29年記載
宗像神社中津宮本殿
福岡県 有形文化財
建造物 昭和47年4月15日指定
建造物 昭和47年4月15日指定
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
公式サイト
http://www.munakata-taisha.or.jp/
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
福岡県
https://www.fukuoka-bunkazai.jp/
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年
http://www.munakata-taisha.or.jp/
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
福岡県
https://www.fukuoka-bunkazai.jp/
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年
