有名度
前頭上位野間神社
のまじんじゃ
愛媛県今治市神宮甲699番
愛媛県今治市神宮甲699番

かんたんご利益
- 厄除
野間神社には
「厄除・開運系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
庁
悪病除 開運
御祭神
主祭神
飽速玉命 あきはやたまのみこと
主祭神
若弥尾命 わかみおのみこと
主祭神
須佐之男命 すさのをのみこと
主祭神
野間姫命 のまひめのみこと
配神
大国主命 おおくにぬしのみこと
配神
大山積命 おおやまつみのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(3柱)」 「祇園・須佐系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
野間神社は愛媛県今治市に鎮座する神社。御祭神は飽速玉命、若弥尾命、須佐之男命、野間姫命、大国主命、大山積命の6柱をまつる。
社格は名神大社であり、旧県社。
創建年代は明らかではない。伝承では、神功皇后の時代に怒麻国造となった若弥尾命が、祖神である飽速玉命を祀ったことを創始とする。また、大宝元年(701)に社殿が造立されたとも伝えられている。
奈良時代の天平神護2年(766)、『続日本紀』には野間神に従五位下の神階を授け、神戸2烟を充てたことが記されている。平安時代の承和4年(837)には、大山積神とともに名神に列せられた。
その後も神階は進み、貞観3年(861)に従五位上から従四位下、貞観8年(866)に従四位上から正四位下、貞観12年(870)に正四位上、元慶5年(881)に従三位へ昇った。延長5年(927)に成立した『延喜式』神名帳には「伊豫国野間郡 野間神社」と記載され、名神大社に列している。
承平5年(935)に始まった藤原純友の乱では海賊平定の祈願が行われ、『長寛勘文』によれば天慶3年(940)に正二位へ叙せられた。
中世には伊予の河野氏から崇敬を受けた。建長7年(1255)の『伊予国神社仏閣等免田注進状案』には、封戸田14町3反余をはじめ、金剛般若田などの所領が記録されている。後醍醐天皇から綸旨、足利尊氏から御教書が発給されたと伝えられ、その写しは別当を務めた乗禅寺に伝来している。
江戸時代には松山藩の雨乞いの祈願所となった。社記によれば、宝永2年(1705)に拝殿、文化10年(1813)に本殿が造営された。明治時代には社号を野間神社とし、明治4年(1871)に郷社、明治28年(1895)に県社へ昇格した。
境内には鎌倉時代後期の石造宝篋印塔が残る。花崗岩製で総高280cm、基壇を含めると360cmに達し、基礎には鎌倉時代の様式を伝える格狭間、塔身には金剛界四仏の梵字が刻まれている。昭和29年(1954)3月20日に国の重要文化財に指定された。
野間神社が所有する平安・鎌倉時代の和鏡11面は、昭和54年(1979)3月20日に愛媛県指定有形文化財となった。藁で鳳凰をかたどった藁御輿も伝えられており、昭和46年(1971)4月6日に愛媛県指定無形民俗文化財となっている。
例大祭は5月3日に行われ、継ぎ獅子や奴などが奉納される。氏子地区による獅子舞では境内の高い石段を舞台に、今治地方に伝わる三継ぎ、四継ぎの継ぎ獅子が披露される。
社格は名神大社であり、旧県社。
創建年代は明らかではない。伝承では、神功皇后の時代に怒麻国造となった若弥尾命が、祖神である飽速玉命を祀ったことを創始とする。また、大宝元年(701)に社殿が造立されたとも伝えられている。
奈良時代の天平神護2年(766)、『続日本紀』には野間神に従五位下の神階を授け、神戸2烟を充てたことが記されている。平安時代の承和4年(837)には、大山積神とともに名神に列せられた。
その後も神階は進み、貞観3年(861)に従五位上から従四位下、貞観8年(866)に従四位上から正四位下、貞観12年(870)に正四位上、元慶5年(881)に従三位へ昇った。延長5年(927)に成立した『延喜式』神名帳には「伊豫国野間郡 野間神社」と記載され、名神大社に列している。
承平5年(935)に始まった藤原純友の乱では海賊平定の祈願が行われ、『長寛勘文』によれば天慶3年(940)に正二位へ叙せられた。
中世には伊予の河野氏から崇敬を受けた。建長7年(1255)の『伊予国神社仏閣等免田注進状案』には、封戸田14町3反余をはじめ、金剛般若田などの所領が記録されている。後醍醐天皇から綸旨、足利尊氏から御教書が発給されたと伝えられ、その写しは別当を務めた乗禅寺に伝来している。
江戸時代には松山藩の雨乞いの祈願所となった。社記によれば、宝永2年(1705)に拝殿、文化10年(1813)に本殿が造営された。明治時代には社号を野間神社とし、明治4年(1871)に郷社、明治28年(1895)に県社へ昇格した。
境内には鎌倉時代後期の石造宝篋印塔が残る。花崗岩製で総高280cm、基壇を含めると360cmに達し、基礎には鎌倉時代の様式を伝える格狭間、塔身には金剛界四仏の梵字が刻まれている。昭和29年(1954)3月20日に国の重要文化財に指定された。
野間神社が所有する平安・鎌倉時代の和鏡11面は、昭和54年(1979)3月20日に愛媛県指定有形文化財となった。藁で鳳凰をかたどった藁御輿も伝えられており、昭和46年(1971)4月6日に愛媛県指定無形民俗文化財となっている。
例大祭は5月3日に行われ、継ぎ獅子や奴などが奉納される。氏子地区による獅子舞では境内の高い石段を舞台に、今治地方に伝わる三継ぎ、四継ぎの継ぎ獅子が披露される。
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神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
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文化財
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建築
本殿 入母屋造
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%BB%8A%E6%B2%BB%E5%B8%82)
愛媛県神社庁
http://ehime-jinjacho.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%BB%8A%E6%B2%BB%E5%B8%82)
愛媛県神社庁
http://ehime-jinjacho.jp/
