有名度
前頭嚴島神社
いつくしまじんじゃ
愛媛県松山市神田町1−7
愛媛県松山市神田町1−7

暗黒な方 (the Black One) (wikipedia CC 表示-継承 3.0)
かんたんご利益
- 健康
- 子供
- 安全
- 厄除
- 勝負
嚴島神社には
「健康系」「子供系」「安全系」「厄除・開運系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
庁
厄除け 交通安全 子育て 病気平癒 勝負の神
御祭神
市杵島姫命 いちきしまひめのみこと
湍津姫命 たぎつひめのみこと
田心姫命 たごりひめのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「宗像・厳島系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
嚴島神社は愛媛県松山市に鎮座する神社。御祭神は市杵島姫命、湍津姫命、田心姫命の3柱をまつる。
社格は旧郷社。
社伝では、崇峻天皇の時代に筑紫国の宗像大社から宗像三女神を勧請したことを創祀とする。700年頃には東山の地に神殿が新築され、神亀元年(724年)には安芸国の厳島神社の神が勧請された。
天慶4年(941年)、藤原純友追討に関わった橘遠保、河野好方、野田新藤次が社殿を修理し願文を納めた。承久2年(1220年)には河野通信が心願を奉納し、観応2年(1351年)には足利尊氏が久万の水田2町5反を寄進した。応仁元年(1467年)には河野通春が神殿を造営している。
慶長7年(1602年)、刈谷畑の戦いによって社殿が焼失し、神社は現在地へ奉遷された。同年には安芸の宮島の嚴島神社から神を勧請し、嚴島神社と称するようになったと伝わる。
江戸時代には歴代松山藩主の崇敬を受け、参勤交代の際には参拝して幣帛を奉った。明治4年(1871年)には大国主命、小彦名命、塩土神、崇徳天皇、事代主命、蛭子命、保食神が合祀され、明治37年(1904年)には社殿が改築された。
本殿は春日造で、境内には菅原道真を祀る天満宮と、恵美須神・寿老神を祀る恵美須宮が鎮座する。毎年10月の例大祭では神幸祭が行われ、三津と古三津の神輿4体による鉢合わせが奉納される。
社格は旧郷社。
社伝では、崇峻天皇の時代に筑紫国の宗像大社から宗像三女神を勧請したことを創祀とする。700年頃には東山の地に神殿が新築され、神亀元年(724年)には安芸国の厳島神社の神が勧請された。
天慶4年(941年)、藤原純友追討に関わった橘遠保、河野好方、野田新藤次が社殿を修理し願文を納めた。承久2年(1220年)には河野通信が心願を奉納し、観応2年(1351年)には足利尊氏が久万の水田2町5反を寄進した。応仁元年(1467年)には河野通春が神殿を造営している。
慶長7年(1602年)、刈谷畑の戦いによって社殿が焼失し、神社は現在地へ奉遷された。同年には安芸の宮島の嚴島神社から神を勧請し、嚴島神社と称するようになったと伝わる。
江戸時代には歴代松山藩主の崇敬を受け、参勤交代の際には参拝して幣帛を奉った。明治4年(1871年)には大国主命、小彦名命、塩土神、崇徳天皇、事代主命、蛭子命、保食神が合祀され、明治37年(1904年)には社殿が改築された。
本殿は春日造で、境内には菅原道真を祀る天満宮と、恵美須神・寿老神を祀る恵美須宮が鎮座する。毎年10月の例大祭では神幸祭が行われ、三津と古三津の神輿4体による鉢合わせが奉納される。
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