飯積神社 - 神社ファン

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飯積神社

いいづみじんじゃ

愛媛県西条市下島山甲1883

愛媛県西条市下島山甲1883

石段と社殿

Dokudami(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 仕事
飯積神社には

「仕事系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

五穀豊穣 商売繁盛

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

稲荷系

です。
他に 「不明(4柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

飯積神社は愛媛県西条市に鎮座する神社。御祭神は倉稲魂命、国魂愛比売、十城別王、足仲彦尊、気長足姫尊の5柱をまつる。
社格は旧郷社。
社伝では、上古に十城別王が倉稲魂命を創祀し、この地で祀られていた国魂愛比売をあわせて祀ったと伝える。十城別王は、伊曽乃神社の祭神である武国凝別命の孫とされ、飯積神社の祭神の一柱として祀られている。
仲哀天皇と神功皇后については、道後の出湯へ向かう途中、現在の社地である島山へ立ち寄ったという伝承が残る。その時、島山には櫟の木が繁っており、天皇と皇后はその木で笏を作り、鎮魂祭を行ったと伝えられている。
飯積神社は古くは櫟津神社と呼ばれ、櫟津稲荷大明神として信仰された。社地は櫟津岡と呼ばれ、周囲には櫟の木が繁っていたという。かつては海水が岡の周囲まで入り込み、津を形成していたと伝わる。島山郷は大生院、半田、上島山、下島山、船屋を含み、飯積神社は地域の農耕と結びついた神社として崇敬を集めた。
天正13年(1585年)、小早川隆景による四国攻めの戦火で社殿と社宝が焼失した。安政年間にも火災があり、社殿と社宝は再び失われた。現存する社記には、宝暦2年(1752年)12月3日の吉田家の姓名印章が残されている。
境内には一の鳥居、石段、拝殿、本殿、参集殿、摂末社が並ぶ。本殿は安政4年(1857年)完成の桧皮葺三間社流造で、千木と勝男木を置かない。棟には五三桐紋が据えられ、桧皮葺替は平成15年(2003年)までに3度行われた。拝殿は平成13年(2001年)に改築された。
幕府お触の西条藩高札は西条市指定有形文化財である。西条まつりの屋台行事は西条市指定無形民俗文化財に指定されている。例祭は毎年10月16日・17日に行われ、飯積神社祭礼では太鼓台が奉納される。
  • 郷社
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神社詳細

摂末社・境内社

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文化財

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%A9%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE